地名の歌枕とは? わかりやすく解説

地名の歌枕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/11 03:07 UTC 版)

歌枕」の記事における「地名の歌枕」の解説

しかし歌枕時代が経つにつれて次第和歌詠まれ諸国名所旧跡のみについて言われるようになった平安時代後期歌人源俊頼著書俊頼髄脳』には、「世に歌枕といひて所の名かきたるものあり」とあり、すでにこの頃には歌枕について、名所由緒ある場所に限ることがあったと見られる。『能因歌枕によればその地名には、都が平城京置かれていた頃から親しまれてきた大和国地名をはじめ、東は陸奥国から西は対馬まで六十一ヶ国に及び、それらは山や川、浦といった自然の景物、またや関、里(さと)などの場所が取り上げられている。 もともと地名の歌枕は実際風景をもとに親しまれてきたというよりは、その言葉の持つイメージ利用され和歌詠まれていた面がある例え上で触れた「あふさかやま」は古くより逢坂の関呼ばれる関所でもあったが、この地名はたいていが男女が逢えぬ嘆きをあらわす恋の歌詠まれた。「坂」・「山」・「関」は人を阻むものであり、思う相手心のままに「あふ」ことができないものの象徴として、「あふさかやま」(あふさかのせき)が詠まれているのである。 あふさかの せきにながるる いはしみづ いはでこころに おもひこそすれ(『古今和歌集』巻第十一・恋一) 「いはしみづ」とは、当時この逢坂の関にあったという岩の上流れ清水のことである。自分好いた相手に逢えない苦しさを人に訴えるようなことはすまい、だが言わぬと心に誓っても、その苦しさに涙のほうはこらえきれずこぼれてしまう…という趣意の歌であるが、ここでは「あふさかのせき」を恋の障害物、関で流れ清水「いはしみづ」を自分がこぼす涙にたとえている。このように当時の歌を詠む人々にとっては、逢坂呼ばれる場所が実際どういうであったかはさして重要なことではなく自分感情譬え材料として使われたのであった。 また一方では、地名の歌枕は歌や物語場面として繰り返し登場する中で、実際風景から離れたところでイメージ形成されてきたものともいえる。たとえば「桜」なら「吉野山」、「龍田川」なら「紅葉」と、その場所ならこの景物詠むというように組み合わせある程度決まっていた。そして本歌取りが行われるようになると、そういった古歌にある組み合わせ受け継がれ歌枕が持つイメージとして使われるようになったこうしたイメージはのちに和歌だけではなく硯箱はじめとする工芸品や、着物などのデザインにも用いられた。今では和歌詠むこととは関わりなく、全国各地にある歌枕松島など観光名所のひとつとされている。

※この「地名の歌枕」の解説は、「歌枕」の解説の一部です。
「地名の歌枕」を含む「歌枕」の記事については、「歌枕」の概要を参照ください。

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