国民党時代
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1947年に二・二八事件が発生すると、陳炘は国民党軍により連行され、それ以降の消息は不明である。一説には、経営する大東信託が台湾島内で浙江財閥資本との競争があったために殺害されたとも言われている。事件後、大東信託は合併され、華南銀行として再編された。
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国民党時代
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太平洋戦争終結後、台湾は中華民国の統治下に組み込まれる(台湾光復)。当初は中国国民党政府との蜜月状態が続いたが、文学と政治環境の相違より台湾文学は停滞期に突入する。この停滞は国民政府による言語政策に起因するものであり、国語推進政策や、1947年の二・二八事件などがその直接の原因である。加えて呂赫若、張文環、楊逵及び王白淵等の著名作家が程度こそ異なれ政治迫害を受けたことにより、多くの作家が執筆活動を中断、台湾の文学作品は減少の一途を辿った。こうした状況下、狭義の台湾部文学停滞期とされる1960年代以前の戒厳令初期には、台湾自身とは無関係な反共文学や外省人作家による懐郷文学が数多く発表された。 1960年代から1980年代にかけて、政府の主導する反共文学と懐郷文学が大きな勢力を占める中、朝鮮戦争の終結以降、アメリカ合衆国政府からの経済援助によるアメリカの生活様式が浸透する中で、現代主義文学が萌芽してくることとなった。これらには小説以外に現代詩も含まれ定型化された反共文学への不満を表明すると共に伝統文化が内包する改革に反対する意識と反省を含むものであった。この文学潮流は1960年代から1970年代にかけて、白先勇、七等生、陳映真などの新進の現代主義文学作家を誕生させることとなった。また台湾の都市生活、農村経済、社会危機、価値観念などに対する理解の深化により王禎和、鍾理和、鍾肇政、李喬、黄春明などによる郷土写実文学と称される作品をも生み出している。これらの文学潮流は戦後台湾の「文化創造運動」として捉えられている。
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