インドネシア国民党時代
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「闘争民主党」の記事における「インドネシア国民党時代」の解説
この政党の来歴をもっとも古くまでさかのぼれば、オランダ領東インド時代の1927年、のちに初代大統領となるスカルノによって結成されたインドネシア国民党(Partai Nasional Indonesia、略称PNI)にまで行き着くことになる。 インドネシア国民党は、インドネシアの独立と民族の統一をとなえて、当時の植民地政府と鋭く対立したが、オランダ領東インド政府はPNIに対し1928年5月と1929年7月の2回にわたり注意を与えた後、その年の12月29日一斉に幹部を逮捕し、翌年12月末に刑を下した。指導者スカルノらの逮捕とともに、執行部は党員の安全を考慮して1931年4月25日に党の解体を決定した。その後、日本軍政期とインドネシアの独立宣言を経て、1946年に再結成され、1955年の第1回総選挙では「4大政党」の1つに数えられるほどの議席を得た。 スカルノが議会制民主主義を停止した「指導される民主主義」期においても、スカルノを支える勢力の1つとしての地位を維持したが、1965年のスカルノの失脚とともに党勢は衰えた。
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