国民党軍の上陸と地元台湾人の反応
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「台湾光復」の記事における「国民党軍の上陸と地元台湾人の反応」の解説
「犬去りて、豚来たる」も参照 国民党軍すなわち『祖国』の軍隊が台湾に上陸することを聞いた台湾人は非常に興奮した。台北のみならず台中、台南、高雄からも基隆港に人が駆け付け、国民党軍の上陸を、固唾をのんで見守った。しかし、彼らの目の前に現れたのは、見慣れた日本の軍隊とは全く異なり、隊列はばらばらで、ゲートルもきちんと捲いていないようなみすぼらしい姿で、全員が背中に雨傘を背負い、なかには鍋や食器はては寝具を担ぐ者までいた。 整列して国民政府の軍隊を歓迎した台湾島民は、初めて国民政府軍の本当の姿を見た。民衆は台湾に到着した第二次大戦の戦勝部隊が意外にもボロボロの軍服を着、草鞋やズックの靴を履き、鍋、皿、椀等の炊事用具や雨傘を背負ったり天秤棒で肩に担いだりして歩いている異様な光景を眼前にして、心に描いていたイメージとのあまりの落差に唖然としたのである。 私は中学生時代、霧社事件で出動する日本軍部隊を見たことがあるが、彼らの整然とした軍容、厳格な規律、きびきびした動作、それに溌剌とした風貌に接して非常な心強さを感じた。それに比べると、正直に言って私は国民政府軍の貧弱な様子には大いに失望した。 — 楊基銓、『台湾に生を享けて』(1999年)日本評論社 多くの台湾人たちは、日本軍とのあまりの違いに驚愕し、日本が中国に敗れたとはとても信じられなかった。国民党軍への驚愕と失望は、「祖国復帰」に一抹の不安を抱かせ、期待と喜びに微かな影を落とすものであった。遅れて10月24日陳儀自身が台湾に到着した。翌10月25日に台北市の公会堂で「中国戦区台湾省受降式典」が挙行され、台湾は50年間の日本統治を脱した。 この式典の終了後、陳儀台湾省行政長官は、ラジオ放送を通じて、「今日より台湾は正式に再び中国の領土となりすべての土地と住民は中華民国国民政府(国民党政権)の主権下におかれる」(要旨)との声明を発表した。この声明は、台湾の領有権の変更のみならず、台湾人の意思にかかわらず一方的に、その国籍を日本から中国へと変更することを意味した。これは、日清戦争後の台湾割譲に伴い2年間の猶予を与えたうえで、台湾住民に国籍選択の自由を有していたことと著しく異なるものであった。
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