国民公会の対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/23 05:55 UTC 版)
鎮圧されたリヨン市に対し、国民公会は徹底的に報復することを決定。10月12日、公会議長ルイ=ジョゼフ・シャルリエは以下のような宣言を発した。 国民公会は、公安委員会の建議により、猶予することなくリヨンの反動革命を武力で懲罰する目的を以って、5名の議員より成る非常委員会を指名する。 リヨンの全住民は武装を解除し、その武器は共和国防御者に引き渡されるべし。 武装の一部は、富者及び反動革命家の圧迫を被っている愛国者に交付するものとする。 リヨン市は破壊されるものとする。有産階級の住居は全て破壊されるべし。貧民の家、殺戮もしくは追放させられた愛国者の住家、工業建築物、並びに慈善・教育の目的に使用されるもののみは、残存に差し支えなし。 リヨンという名称は、共和国の都市表から抹消される。残った都市は、今後ヴィル・アフランシの名で呼ばれるものとする。 リヨンの廃墟には記念碑を立て、王党の都市の罪と罰を天下後世に知らせる目的を以って「リヨンは自由と戦いを交えたり―リヨンはもはやあらず」という碑銘を刻むものとする。 議会ではこれに反対するものもなく、ジャコバン派の指導者マクシミリアン・ロベスピエールの側近、ジョルジュ・クートンが国民公会代表としてリヨンへと派遣された。リヨンではこの宣言を聞いた市民達が革命政府の報復をおそれ、戦慄した。
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