国民党独裁以降
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しかし、1986年秋には一党独裁を通してきた国民党政権が野党民進党の結成を余儀なくされ、台湾政治の民主化が始まる。1949年以降敷かれたままになっていた長期戒厳令が解除され、中国内戦期に中国大陸で選ばれた非改選の議員が大多数を占めていた国会が正常化し、1996年には総統の直接選挙が実施され、2000年には遂に総統選挙の結果により国民党から民進党への政権交代が実現した。こうした民主化は、本省人の側から見れば、国民党独裁下で顧みられなかった土着言語や土着文化への回帰すなわちエスニック・リバイバルといえる。台湾最大の群族集団である福佬人の話す福佬語が「台湾語」と呼ばれるようになり、さらに選挙などでも盛んに使用されるようになり、国会でも使用されるなど急速に地位を高めている。そうなると客家人も危機感をもって客家語の復権などの文化運動を展開することになった。このように近年では、台湾人各群族の要求が多元主義的な文化政策ないし国民統合政策として次第に定着しつつある社会を迎えている。このような中、台湾人のアイデンティティを肯定する動きが強くなった。本省人や先住民族の文化や言葉が重要視されるようになり、小学校でも母国語教育が始まり、台湾語や客家語、先住民族の言葉も学習するチャンスが増えた。また各民族それぞれの文化、風習、言葉を子孫に伝えていこうとする傾向も強まっている。民族の違いは若い年代ではあまり意味を持たなくなりつつある。外国人が台湾人(とりわけ一定の年代以上の人々)とビジネスする場合、面と向かって訪ねたりするのはやはり失礼だが、相手の台湾人がどのルーツを知り、たとえば福佬人に対して、台湾語で一言二言話しかけたり、客家人に対して客家料理をほめたりすると互いの距離がぐっと縮まるのも事実であるとされる。
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