図書館解放運動(1946-1950)
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「飯田市立上郷図書館」の記事における「図書館解放運動(1946-1950)」の解説
1946年(昭和21年)1月1日、上郷図書館は再開し、読書会も同時に再開した。戦後の読書会は戦中とは異なり政治的な本も選ばれた。運営体制・規則は戦前を踏襲した。 転機が訪れたのは、戦前の青年会長で日本共産党員の北原亀二が村営診療所の設立を訴え、その場所として図書館の2階が候補地に取り沙汰された1946年(昭和21年)4月のことである。青年会員は当然に反発したが、一時的な措置との説明を受けたこと、図書館の主な機能は1階にあったこと、元青年会長の肝いりの事業だったことから受け入れを決定し、同年7月1日に診療所が併設された。図書館の南側では診療所の建設が進められていたが、財産の関係上、診療所の医師の住居に変更されたことが同年9月に判明し、青年会と村の間で協議が持たれた。協議では診療所の建設が行われるまで継続使用することと診療所が完成した後に建物を公民館とすることが取り決められた。しかし終戦直後の財政難で診療所建設が難航したことから2階の明け渡しは遅々として進まず、青年会内部でも北原派と反北原派が対立することになった。 2階を診療所に明け渡した青年会は、青年が自由に集まれる場所を失ってしまい、図書館が単なる本の貸借の場ではないことを改めて認識することになった。この間、1947年(昭和22年)1月に男女別の青年会が合同し、図書館の業務も男女混合で行うようになり、1948年(昭和23年)4月15日には戦前の官製青年会を引きずっているとして上郷青年会はいったん解散、7月25日に改めて再結成された。この改組により図書館も一時休館し、再開後は図書館業務を図書部が、読書会を文教部が担当するという分担が為された。そして図書部は図書館解放運動と称する、診療所から2階を取り戻す運動を促進し、図書館設立期の元青年部員から話を聞いて上郷図書館の歴史を学び、彼らも解放を求めていることを知り、活動の正当性を確信した。 更に青年会は館長の自主選定権がなく、国民学校長が自動的に就任する規定の見直しを図り、1949年(昭和24年)には戦後初めて青年会長が館長に選ばれた。同年1月、懸案の図書館解放問題で館長を兼任する青年会長の下で陳情書を作成、2月には村議会議長から診療所の新築移転と図書館解放の言質を取り、これを既成事実化するため、村費の負担なしに青年会で書架増設などの図書館改造を実行した。1950年(昭和25年)6月には建物を診療所に譲り、図書館は旧織物検査所へ移転する案を村から提示されたが、表向きは受け入れる姿勢を見せながら実際には村にとって実行不能な無理難題を受け入れ条件として回答した。結局、村は診療所を旧織物検査所へ移転させることにし、9月1日に2階は返還され、解放運動は終幕となった。なおこの間、1950年(昭和25年)4月30日に図書館法が施行されたが、下伊那郡内に法に適合する図書館はなく、法的には公民館図書部となったが、「図書館」の名のまま図書館活動は継続された。また下伊那郡北部の大島村、山吹村、市田村、座光寺村の公民館図書部と「北部地区図書館協議会」を結成した。
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