図書館解放運動とは? わかりやすく解説

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図書館解放運動(1946-1950)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/13 00:42 UTC 版)

飯田市立上郷図書館」の記事における「図書館解放運動(1946-1950)」の解説

1946年昭和21年1月1日上郷図書館再開し読書会同時に再開した戦後読書会戦中とは異なり政治的な本も選ばれた。運営体制規則戦前踏襲した転機訪れたのは、戦前青年会長で日本共産党員の北原亀二が村営診療所設立訴えその場所として図書館2階候補地取り沙汰され1946年昭和21年4月のことである。青年会員は当然に反発したが、一時的な措置との説明受けたこと、図書館の主機能1階にあったこと、元青年会長の肝いり事業だったことから受け入れ決定し同年7月1日診療所併設された。図書館南側では診療所建設進められていたが、財産の関係上、診療所医師住居変更されたことが同年9月判明し青年会の間で協議持たれた。協議では診療所建設が行われるまで継続使用することと診療所完成した後に建物公民館とすることが取り決められた。しかし終戦直後財政難診療所建設難航したことから2階明け渡し遅々として進まず青年会内部でも北原派と反北原派が対立することになった2階診療所明け渡した青年会は、青年自由に集まれる場所を失ってしまい、図書館単なる本の貸借の場ではないことを改め認識することになったこの間1947年昭和22年1月男女別の青年会合同し図書館業務男女混合で行うようになり、1948年昭和23年4月15日には戦前官製青年会を引きずっているとして上郷青年会はいったん解散7月25日改め再結成された。この改組により図書館一時休館し、再開後は図書館業務図書部が、読書会文教部が担当するという分担為された。そして図書部は図書館解放運動と称する診療所から2階取り戻す運動促進し図書館設立期の元青年部員から話を聞いて上郷図書館歴史学び、彼らも解放求めていることを知り活動正当性確信した。 更に青年会館長自主選定がなく、国民学校長が自動的に就任する規定見直し図り1949年昭和24年)には戦後初め青年会長が館長選ばれた。同年1月懸案図書館解放問題館長兼任する青年会長の下で陳情書作成2月には村議会議長から診療所新築移転図書館解放言質取り、これを既成事実化するため、村費負担なしに青年会書架増設などの図書館改造実行した1950年昭和25年6月には建物診療所譲り図書館は旧織物検査所へ移転する案をから提示されたが、表向き受け入れ姿勢見せながら実際ににとって実行不能無理難題受け入れ条件として回答した結局診療所を旧織物検査所へ移転させることにし、9月1日2階返還され解放運動終幕となった。なおこの間1950年昭和25年4月30日図書館法施行されたが、下伊那郡内に法に適合する図書館はなく、法的に公民館図書となったが、「図書館」の名のまま図書館活動継続された。また下伊那郡北部大島村山吹村市田村座光寺村公民館図書部と「北部地区図書館協議会」を結成した

※この「図書館解放運動(1946-1950)」の解説は、「飯田市立上郷図書館」の解説の一部です。
「図書館解放運動(1946-1950)」を含む「飯田市立上郷図書館」の記事については、「飯田市立上郷図書館」の概要を参照ください。

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