司馬冏の時代とは? わかりやすく解説

司馬冏の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 09:15 UTC 版)

恵帝 (西晋)」の記事における「司馬冏の時代」の解説

これ以降司馬冏が輔政の任についたが、彼は自らの府に百官招いて政務行い恵帝批准を仰がずに事案決済官員任免行った6月司馬冏の兄である東萊王司馬蕤は王輿と共に司馬冏を倒す計画練ったが、事前に露見し誅殺された。302年3月皇太孫司馬尚死去したため、代わって司馬覃皇太子立てた12月長沙王司馬乂司馬冏討伐兵を挙げると、宮中入って恵帝支配下に置き、司馬冏のいる大司馬府を攻撃して諸々の観閣や千秋門・神武門焼き討ちさせた。城内ではのように矢が飛び交い、炎の勢いは天まで届かん程となったので、恵帝上東門避難したが、そのすぐ側まで矢が届いたので、近臣身を挺して守ったという。さらに、百官消火励んだが、その過程次々命を落とした戦い三日続いたが、最終的に司馬冏敗れて捕えられた。司馬乂恵帝前に司馬冏差し出すと、恵帝はこれを痛ましく思って助命ようとしたが、司馬乂近臣叱責して司馬冏連れ出した司馬冏恵帝の方を振り向いて助け期待したが、閶闔門外処刑された。大赦下し太安改元した。

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司馬冏の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:06 UTC 版)

嵆紹」の記事における「司馬冏の時代」の解説

司馬倫死後斉王司馬冏朝権を掌握して輔政の任に就いたが、彼は奢侈な生活を送って邸宅館舎大い建築し民衆大い失望させた。 302年11月嵆紹腐敗する朝政憂え上書して「臣が聞くところによりますと、前の轍を改める者は車を傾けず、往時弊害革める者は政を間違えないいいます太一元首統べ百司多くの士を使役しました。故に周文(周の文王)は上を興し、成康(周の成王康王)は下を穆した(穏やかに静めた)のです。『存して亡ぶるを忘れず存続している時にも常に亡びる事を忘れない)』とは『易』の善義であります。願くば、陛下金墉忘れず大司馬潁上忘れず大将軍が黄忘れる事のありませんよう司馬倫の時代恵帝金墉城に幽閉され大司馬司馬冏潁上敗れ大将軍司馬穎は黄敗れた)。そうすれば禍乱の萌が兆す事は無いでしょう」と述べ司馬倫と同じ過ち繰り返さないよう戒めた次いで司馬冏にも書を送って夏禹夏王朝始祖である禹)は卑室(質素な宮殿)である事により称賛を受け、唐虞(堯と舜)は茅茨粗末な邸宅)である事により徳を明らかにしました。いくら家を大きくして富ませても、無益でありむしろ危亡招きます。第舎を広くする為に太楽を毀敗し、力を尽くして三王斉王司馬冏成都王司馬穎・河間王司馬顒)の為に邸宅建てておりますが、はたして今日先を急いでやる事でしょうか!今、大事は定まり始めたばかりであり、万民は粛敬としながら潤いもたらされる待っているのです。起造の煩い省き、謙損の理について深く考えるべきです。復主(恵帝復位)の功績棄てるべきではありませんが、矢石の殆(戦乱危機)もまた忘れてはなりません」と諫めた司馬冏はこの進言謙虚な態度報いたが、結局振る舞い改める事は無かった302年12月嵆紹朝廷での職務免じられると、司馬冏により大司馬府に招き入れられ(司馬冏大司馬地位にあった)、左司馬任じられた。だが、その10日後には長沙王司馬乂政変起こし交戦の末に司馬冏捕らえて誅殺した。政変起こった時、異変察知した嵆紹逃げまどいながら宮殿向かった。東閤の下にいた弩兵は嵆紹発見すると彼へ向けて射掛けたが、殿中将兵である隆は嵆紹立派な姿を見てただものではないと考え彼の前に進み出て射撃止めさせたので、嵆紹は禍を免れる事が出来たその後滎陽にある旧宅へと帰還した

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