台車の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 17:09 UTC 版)
アメリカでは特に問題となっていた鉄道車両の曲線通過にかかる問題を台車を採用することにより解決した。台車の発想自体はかつての宗主国たるイギリスで既に、1821年にウィリアム・チャップマンによってボギー台車として考案・特許申請されていた。この方式は、従来、車体台枠に軸箱支持機構を直接固定する方法を改め、短い台枠(台車枠)と軸箱支持機構を組み合わせて構成された2台以上の台車を用意して旋回可能とし、それらの上に従来よりも長大な車体を搭載するものである。こうすることにより、台車枠中央部に用意された枕梁(ボルスター)上に心皿と呼ばれる荷重を支持し牽引力を伝達し、さらに台車枠の旋回を案内するための台座を設け、この部品の上から車体に強固に固定されたセンターピンと呼ばれる部品を落とし込んで首振り可能とし、更に心皿の左右に側受(サイドベアラー)と呼ばれる摺動しつつ荷重の分担支持を担当する部材を設置することで、急曲線通過を容易にした。 ボギー台車はイギリスではその採用の必要性が薄かったこともあって実用化されていなかったが、輸送力増強と線路条件の双方の事情から切迫した状況にあったアメリカでは1832年に蒸気機関車の先台車として採用され、1834年にはロス・ワイナンズによる特許申請とともにボギー車として客車にも採用された。以後アメリカでは先台車付蒸気機関車とボギー客車が急速に普及し、事実上の標準方式となった。そしてアメリカ以外の国でも台車は先台車(もしくは従台車)やボギー台車として次第に採用されるところとなり鉄道車両の大型化や安定走行に貢献することとなった。 アメリカでは当初、二軸車・三軸車の軸受装置と同様の重ね板ばねを使用するペデスタル式のシンプルな軸箱支持機構が採用されていた。だが、その後は劣悪な条件の軌道での追従性に優れる釣合梁(イコライザー)台車が、やはり蒸気機関車の先台車用として開発された技術を応用する形で導入され、これも爆発的な普及を見ている。 なお、この時期のアメリカでは鋼材よりもスプルースなどの良質木材の方がより容易に調達可能な状況にあり、鉄道車両、特に客車の台車枠を木製とする例が多く見られた。
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