古典からの着想
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作品舞台に出てくる「生田川」は、兵庫県神戸市に実在する川であるが、『大和物語』で語られる「生田川伝説」で、2人の男に求愛され苦悩する処女・菟原処女が入水自殺する川として知られている。この伝説は謡曲『生田敦盛』や『求塚』、森鷗外の戯曲『生田川』の下敷きになっているが、「生田川伝説」の元々の原典は『万葉集』の「菟原処女の伝説」である。川端は『たんぽぽ』の執筆を途絶していた1969年(昭和44年)5月1日にハワイ大学の講演で、この「菟原処女の伝説」について触れている。 森鴎外の戯曲『生田川』では、「死」を表現する「白」が基調となっているが、川端の『たんぽぽ』にも、稲子が仁徳天皇の御陵大仙陵古墳の緑の中で〈白鷺〉に感動することが触れられ、久野が生田川の堤で〈白い鼠〉や、〈白いたんぽぽ〉を見る場面がある。 また、中学1年の稲子が初めて撞いた三井寺の鐘から、世阿弥の作の謡曲『三井寺』や、その他の三井寺伝承の民話『三井の晩鐘』に見られる主題(別離した親子の情愛・再会)との相関性が指摘されている。また、大般涅槃経の無常偈(むじょうげ)と称される4句「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」の響きが三井寺の鐘にあることから、『たんぽぽ』の常光寺で定時に撞かれる梵鐘との呼応や類似性も看取されている。 なお、川端は1943年(昭和18年)春に黒田政子(従兄・黒田秀孝の三女)を養女としてもらい受け、その1か月後に、京都から大津の三井寺に旅して、旅先から政子に宛て絵葉書を送っている。
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古典からの着想
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ボッティチェッリは遥か昔に失われた古代ギリシアの名画について、2世紀の歴史家ルキアノスが著した記述に着想を得た作品群を描いており、『ヴィーナスの誕生』はそのうちの一つである。アペレスによって描かれた古代の絵画作品は『ヴィーナス・アナディオメネ』(Venus Anadyomene)と呼ばれている。アナディオメネとは「海からの誕生」を意味する。これがボッティチェッリの絵画の題名として使われており、『ヴィーナスの誕生』という題名は19世紀に入って初めて広く知られるところとなった。 『ヴィーナスの誕生』はプラクシテレスのアフロディーテ像と類似点が多い。 当時まだポンペイは未発見でボッティチェッリはポンペイの壁画をついぞ見なかったが、ルキアノスの記述にあるアペレスの絵画は当時すでに有名であり、それをローマ風に再現したものは見たことがあったかもしれない。 ギリシア・ローマ古典時代には、貝は女陰の暗喩(メタファー)であった。 ボッティチェッリのヴィーナスが取るポーズは、メディチ家が収集していたギリシア・ローマ古典時代の大理石の彫像を連想させる。ボッティチェッリはそれら、メディチ家のコレクションを鑑賞する機会があった。
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