古典の一つ目小僧
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江戸時代の怪談、随筆、近代の民俗資料には一つ目小僧の名が多く見られるが、特に平秼東作による『怪談老の杖』にある以下の話がよく知られる。江戸の四谷に住んでいた小嶋弥喜右衛門という男が、所用で麻布の武家の屋敷へ赴き、部屋で待たされていたところ、10歳ほどの小僧が現れて、床の間の掛け軸を巻き上げたり下ろしたりを繰り返し始めた。弥喜右衛門が悪戯を注意したところ、小僧が「黙っていよ」と振り返り、その顔には目が一つしかなかった。弥喜右衛門は悲鳴を上げて倒れ、声に驚いた屋敷の者により自宅へ運ばれた。その後に屋敷の者が言うには、その屋敷ではそのような怪異が年に4、5回はあるが、特に悪さはしないとのことだった。弥喜右衛門も20日ほど寝込んでいたものの、その後は元気を取り戻したという。 一つ目小僧は屋内より屋外に現れることが多いという。『会津怪談集』によれば、会津若松の本四ノ丁付近である少女が8、9歳ほどの子供に出会い、「お姉さん、お金欲しい?」と聞かれて「欲しい」と答えると、子供の顔には目が一つしかなく、一つ目に睨まれた少女はそのまま気絶してしまったという。また『岡山の怪談』によれば、岡山県久米郡久米南町上籾今井谷に一口坂という坂道があるが、かつて夜にそこを歩くと青白い光とともに一つ目小僧が現れ、腰を抜かした者を長い舌で一口嘗めたといい、これが一口坂の名の由来とされる。 『百怪図巻』『化物づくし』『化物絵巻』などの江戸時代の妖怪画には、「目一つ坊」の名で描かれている。また、奥州では、「一つまなぐ」と呼ばれていたとされる。 落語にも一つ目の人々(子供も含む)の語りは登場し、『一眼国(いちがんこく)』の演目では、江戸から120、130里ほど北の原っぱに一つ目の人を目撃したと聞いた香具師が、捕まえて見世物に出せば、儲けになると出発し、一つ目の子を見つけ、連れて帰ろうとするも、騒がれ、大勢の人々に取り囲まれ、逆に捕まってしまう。全て一つ目の人々であり、「こいつ不思議だねぇ、眼が二つある」、「早速、見世物に出せ」といった落ちで終わる(なお、地理上、江戸から北に120里=約470キロは、岩手か秋田県にあたる)。
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