古代的普遍史の完成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 15:08 UTC 版)
ローマ時代の教父たちは、当時としては成立から日が浅いキリスト教を擁護し権威づけする運動の中で普遍史を組み上げ、アウグスティヌスによって古代的普遍史が完成した。これらは四世界帝国論のように聖書の記述を読み換えたり、場合によっては意図的に無視することもあった。しかし、この作業によって聖書が人類史を包括した普遍的かつ連続的な書であり、それを背景にキリスト教の正当性を権威づけるのに成功した。そして同時に、旧約聖書においてユダヤ教が伝えてきた神の教えを、イエスの誕生によってその担い手が教会へ移行したという説得性を持たせた。 そして、普遍史は過去の時間概念についての転換をもたらした。循環的(円環的)時間概念に対し、普遍史は天地創造から最後の審判までの一度きりの歴史として提示された。創世紀元であれアリストテレスの発展段階であれ、それは終末に向けた、繰り返されることは無い神の計画を表していた。 さらに、この歴史観には明確な始点と終点があり、その間の期間は有限である。キリスト教徒にとって時間の終点に当たる終末は待ち望む救済の瞬間であったため、この期間が具体的に何年なのか、あと何年で終末が訪れるのか答えが求められた。紀元前70年から140年頃に執筆された使徒教父文書のひとつ「バルナバの手紙」は、この期間を6000年間と置いている。手紙は、詩編『神の人モーセの祈り』にある「主の一日は千年のよう」(詩編90-4)という文言を基礎に、創世記にて神が6日で世界を創ったという記述と合わせることで、神の計画は6000年間をもって完成すると論じた。古代普遍史成立の時期、聖書年代学は「七十人訳聖書」が参考とされることが多く、アフリカヌスはイエス誕生を創世紀元5500年、エウセビオスやヒエロニムスは5199年と置いていたため、彼らの解釈によれば終末は目前であった。アウグスティヌスは終末の時期について言及を避けているが、それでも彼の時代を第6期に置き、終末を強く意識している。
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