終末の時
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 21:17 UTC 版)
新たな年の到来が迫ってくると、信者たちの活動は熱狂的となり、教祖達は彼らに終末への準備として罪を告白する様に迫った。衣服と家畜の牛が二束三文で売られ、元信者が再入信し、教団の敷地におけるすべての活動は終わりを迎えた。しかし2000年1月1日は終末など到来することなく過ぎ去り、教団はその原因解明を始めた。疑問がムウェリンデとキブウェテーレに投げ掛けられ、教団への寄付金は劇的に減少した。ウガンダ警察は、入信にあたって自身の所有する財産の売却とその売却金の寄付を迫られて入信した数人のメンバーが、教団への反抗と自身の寄付金を返金するように求めたと考えている。そして、これに続く動きはこの教団の危機に対応して教祖達によって組織化されたものであると考えられている。 別の日が終末の日であるとすぐに再予言された。2000年3月17日が新たな世界の終わり、終末の日であるとされ、ニューヨーク・タイムズによれば、彼らは(その日は)「儀式・最後の言行の中で」訪れると述べていた。この日、教団はカヌングの教団本部で大規模な集会を開催した。そこで三頭の牛を焼き、70箱もの木枠の箱に収められたソフトドリンクを振舞っている。信者たちがこの集会に到着してから数分の後、爆発音が近隣の村に轟き、集会が開かれていた建物は炎に包まれていた。この火災で数十人の子供を含む530人の参加者全員が死亡した。建物の窓と扉は人々が逃げることが出来ないように板張りがなされていた。この火事は、ウガンダの政府に教団で起こっていることを警告していた。この数日前、教団のリーダーの一人であるドミニク・カタリバーボは、50リットルもの硫酸を購入しており、これが着火に使用されたと考えられている。またこれとは別の集会が18日に計画されていた。この集会は、教団の新たな教会のお披露目を行うものであった。この集会について、政府高官は、教祖達が教団の計画(教会放火)について、政府をミスリードするために周知を行ったと確信している。5人の主要な教団のリーダー達、ジョセフ・キブウェテーレ、ジョセフ・カサプラリ、ジョン・カマガラ、ドミニク・カタリバーボ、そしてクレドニア・ムウェリンデは、火災の中で死亡したものと推定された。 この教会の火災の4日後、警察は教団の財産を調査し、ウガンダ南部地域の様々な場所で数百にも上る遺体を発見した。6体の遺体は、カヌングの白人居住地の便所に隠されていたところを発見され、他にも153体の遺体がブフネイジの白人居住地で、155体の遺体が、ルガジのドミニク・カタリバーボの所有地から発見された。遺体は毒殺もしくは刺殺されており、さらに別の81体の遺体が教団指導者の一人、ジョセフ・ニュムリンダの農場に横たえられていた。警察は、教団の火災の約三週間前に彼らは殺されていたと述べている。
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