千曲川橋梁_(しなの鉄道線)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 千曲川橋梁_(しなの鉄道線)の意味・解説 

千曲川橋梁 (しなの鉄道線)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 06:13 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
千曲川橋梁
基本情報
日本
所在地 長野県千曲市 - 長野市
交差物件 千曲川
用途 鉄道橋
路線名 しなの鉄道線
管理者 しなの鉄道
施工者 駒井鐵工所桜田機械工業(下り線)
日本橋梁日本車輌製造(上り線)
座標 北緯36度33分31.6秒 東経138度8分0.1秒 / 北緯36.558778度 東経138.133361度 / 36.558778; 138.133361
構造諸元
形式 トラス橋桁橋
材料
全長 460 m(上り)
457 m(下り)
最大支間長 68.0 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
テンプレートを表示

千曲川橋梁(ちくまがわきょうりょう)は、長野県千曲市 - 長野市千曲川に架かるしなの鉄道線の橋長約460 m(メートル)のトラス橋桁橋屋代高校前駅 - 篠ノ井駅間に位置する。

概要

下り線

[1]

上り線

[1][2]

歴史

1888年明治21年)8月15日に官設鉄道として信越本線が開通する。この際単線の千曲川橋梁は錬鉄製のポーナル型下路トラス橋で橋長211.5 mであった。1919年大正8年)にポニートラス橋3連などからなる新橋が完成し、旧橋は1925年(大正14年)に撤去された[3][4]

1961年昭和36年)に再度架替され、現在の下り線となる橋梁が単線で架設され、複線化に伴って1974年(昭和49年)に上り線橋梁が架設された[1]

1997年平成9年)10月1日北陸新幹線高崎 - 長野間の開業に伴い並行在来線となる信越本線の軽井沢 - 篠ノ井間がしなの鉄道に移管され、しなの鉄道線となった。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

出典

  1. ^ a b c 千曲川橋1961-8-1”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2021年9月20日閲覧。
  2. ^ 橋梁年鑑 昭和54年版 (PDF)”. 日本橋梁建設協会. pp. 162, 163. 2021年9月20日閲覧。
  3. ^ 千曲川橋1888-8-15”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2021年9月20日閲覧。
  4. ^ 千曲川橋1919”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2021年9月20日閲覧。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  千曲川橋梁_(しなの鉄道線)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「千曲川橋梁_(しなの鉄道線)」の関連用語

千曲川橋梁_(しなの鉄道線)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



千曲川橋梁_(しなの鉄道線)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの千曲川橋梁 (しなの鉄道線) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS