北風ボレアース
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ボレアース(Βορέας, Boreas)は冬を運んでくる冷たい北風の神である。ボレアースの名は、「北風」あるいは「むさぼりつくす者」を意味する。 ボレアースは非常に強力な神であり、それと同様に粗暴であった。ボレアースはしばしばほら貝を持ち突風にうねる外套を纏い、もじゃもじゃ頭に顎鬚を生やした、翼のある老人として描写された。パウサニアースはボレアースの足が蛇になっていると記しているが、通常の絵画においては、彼は人間の足を持ち背中に翼が付いている神として描かれている。 ボレアースは馬と密接に関連付けられている。ボレアースは雄馬の姿を取り、イーリオスの王エリクトニオスの雌馬たちとの間に12匹の仔馬をもうけたと言われている。これらの仔馬は、作物を踏みにじることなく穀物畑を走り抜けることができたと伝えられている。大プリニウスは『博物誌』の4章35節および8章67節において、雌馬の臀部を北風に向けて立たせれば、雄馬なしに仔馬を種付けできるのではないかと述べている。 ギリシア人はボレアースの住居はトラーキアにあると考えており、ヘーロドトスとプリニウスはヒューペルボリア(「北風の向こうの国」の意)として知られる、人々が幸福を完うしつつ非常な長命を保って暮らしている北方の地域について記述している。 また、ボレアースはイーリッソス河からアテーナイの王女オーレイテュイアを略奪したとも伝えられている。オレイテュイアーに惹かれたボレアースは、最初は彼女の歓心を得んとして説得を試みていた。この試みが失敗に終わると、ボレアースは生来の荒々しい気性を取り戻し、イーリッソス河の河辺で踊っていたオーレイテュイアを誘拐した。ボレアースは風で彼女を雲の上に吹き上げてトラーキアまで連れ去り、彼女との間に二人の息子ゼーテースとカライスおよび二人の娘キオネーとクレオパトラーをもうけた。 この時より以降、アテーナイの人々はボレアースを姻戚による親類と見なすようになった。アテーナイがクセルクセスにより脅かされたとき、人々はボレアースに祈りを捧げ、ボレアースは暴風で400隻のペルシアの船を沈めたと伝えられている。同様の出来事がその12年前に起こっており、ヘーロドトスは以下の様に記している。 「 私はペルシアの舟が暴風により難破したというのが本当かどうか断言することはできないが、アテーナイの人々はボレアースが以前に彼らを救ったようにして、この奇跡を起こしたのであると信じている。そして、アテーナイの人々は故郷に帰還すると、イーリッソス河にボレアースの神殿を建造した。 」 オーレイテュイアの略奪はペルシアとの戦争前後のアテーナイで有名であり、頻繁に古甕の文様として描かれていた。これらの文様においては、ボレアースはチュニックを着込み、しばしば霜に覆われて逆立ったもじゃもじゃの髪を持つ、髭の男として描写された。オーレイテュイアの略奪はアイスキュロスの失われた戯曲『オーレイテュイア』の題材となっている。 より後の時代の記録では、ボレアースはビュートおよびリュクールゴス(母親は別の女性)の父親であり、松のニュンペーであるピテュス (Pitys) の愛人であった。 ローマ神話においてボレアースに相当する神格はアクィロー (Aquilo) あるいはアクィロン (Aquilon) であった。北風の神に与えられたより珍しい別名としては、おおぐま座の七つ星 (septem triones) に由来するセプテントリオ (Septentrio) がある。セプテントリオは、「北方」を意味する英語 "septentrional" の語源でもある。
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