失われた戯曲
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恋の骨折り甲斐 (Love's Labour's Won) 16世紀後半の作家フランシス・ミアズ(Francis Meres)による1598年の著書『知恵の宝庫』("Palladis Tamia, Wits Treasury")はシェイクスピアと同時代の劇壇に関する重要な資料であるが、この本の中にシェイクスピアの近作を列記した箇所がある。「喜劇作品としては『ヴェローナの二紳士』『間違いの喜劇』『恋の骨折り損』『恋の骨折り甲斐』『夏の夜の夢』『ヴェニスの商人』などがある」との記述があるが、『恋の骨折り甲斐』という題名の作品は現存していない。散逸した可能性が大きいが、現存している喜劇の別題であった可能性もある。当時すでに書かれていたと推測されている喜劇のうち、ここに名をあげられていないものがその候補となるが、『空騒ぎ』は登場人物たちが恋で骨を折った甲斐あってハッピーエンドとなるため最有力である。他には、『終わりよければ全てよし』か『じゃじゃ馬ならし』、もしくは『トロイラスとクレシダ』であった可能性が指摘されている。 カルデーニオ (Cardenio) シェイクスピアの後期作品で、ジョン・フレッチャーとの合作である。1613年の上演記録や、1653年の書籍出版業組合記録にこの作品の名が見えるが、作品自体は散逸した。この戯曲はセルバンテスの『ドン・キホーテ』に登場する脇役カルデーニオを中心とした挿話を脚色したものであったと考えられている。1727年、ルイス・シオボールドは『二重の欺瞞』(Double Falshood)と題した自作の戯曲を発表し、これは自分がひそかに所有していた『カルデーニオ』の草稿断片に手を加えて完成させたものだと触れ込んだが、信憑性はないに等しい。一方、筆跡鑑定の専門家チャールズ・ハミルトンは、『第二の乙女の悲劇』の名で現存している戯曲こそ失われた『カルデーニオ』の草稿ではないかとの説を唱えている。この説を受けて、2001年や2004年に『第二の乙女の悲劇』が上演された際には(それ自体稀なことであるが)、『カルデーニオ』の題がこの戯曲に掲げられた。 原ハムレット (Ur-Hamlet) 『ハムレット』は1600年前後に執筆されたらしいことを示す証拠が少なからず残っているが、それより10年以上前、つまりシェイクスピアが執筆活動をはじめるよりも前から『ハムレット』と題した悲劇が上演されていたという記録も残っている。ハムレットというデンマーク王子の物語自体はスカンディナヴィアに古くからある伝説なので、これを題材とした別の作家(おそらくトマス・キッド)による先行作品が存在し、シェイクスピアはこれを参考にしながら自分の作品を執筆したのだろうと考えられている(いわば盗作だが、シェイクスピアの作品に完全なオリジナル・ストーリーはなく、いずれも古典をはじめとした何らかの種本に依拠している)。この先行作品は研究者のあいだで『原ハムレット』と呼ばれているが、やはり現存しない。 この『原ハムレット』を、シェイクスピア自身による初期作品だと考えている学者が若干ながら存在する。ピーター・アレクサンダー(Peter Alexander)が提唱した説で、ハロルド・ブルーム(Harold Bloom)やピーター・アクロイド(Peter Ackroyd)がこれを支持している。ブルームの仮説は、この『ハムレット』の初期形がシェイクスピアの処女作であり、このデンマーク王子という主題にシェイクスピアは何度も立ち返り、1601年に一応完成させた後になってさえ改稿を加えつづけていたのではないかというものである。
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