失われた標本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 05:59 UTC 版)
巨大な椎体は最大恐竜の総論ではしばしば無視されてきた。その理由の一つは、その後の報告によると、椎体と大腿骨の両方の現在どこにあるかがわからず、それらを再発見するためのすべての試みが失敗しているからである。カーペンター(2006)は、この標本が消失した経緯について可能性のあるシナリオを提示した。コープが原記載中で述べているように、神経弓は非常に壊れやすく、化石を硬化させて保存する技術はまだ発明されていなかった(コープの宿敵として知られる古生物学者のオスニエル・チャールズ・マーシュは1880年代初頭にそのような樹脂を使用したパイオニアである)。 カーペンターはこの採石場で発見された化石は、風化した泥岩の中に保存されていただろうと観た。そのため骨はひどく崩れてしまい、コープが論文のために図を描いた後、すぐに廃棄されてしまったのかもしれない。 カーペンターは、コープが他の発見のように複数の角度からではなく一面視で椎骨を描いたのは、このためかもしれないと提案した。カーペンターはコープのコレクションが彼の死後、1897年にアメリカ自然史博物館に売却された経緯を説明した。ウィリアム・ディラー・マシュー( William Diller Matthew )はその目録を作成しており、その中にアンフィコエリアス・フラギリムスのホロタイプも載っていたが、その重要な標本自体は見つけることができなかった。いずれ出てくる可能性があったため、AMNH 5777というカタログ番号が付けられた。 1994年、本種と他の種が発見されたタイプロカリティを再び探検し、地中に埋まったままの骨の画像を撮影するために、地上浸透型レーダーを使用した試みが行われた。この試みは失敗に終わった。泥岩に置換した骨が周囲の岩石と同じ密度であったため、両者を区別することが不可能であった。 また、現地の地形を調査した結果、化石を含む地層が著しく浸食されていることが判明し、ルーカスがマラアプニサウルスを発見した時もそうであった可能性が高いことから、この椎体が発見された時にはすでに骨格の大部分が消滅していたことが示唆されている。
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