失われた巻々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 04:57 UTC 版)
かつて、『源氏物語』には、現在は存在しないいくつかの「失われた巻々」が存在したとする説がある。そもそも、最初から54帖であったかどうかということ自体がはっきりしない。 現行の本文では、 光源氏と藤壺が最初に関係した場面 六条御息所との馴れ初め 朝顔の斎院が初めて登場する場面 に相当する部分が存在せず、位置的には「桐壺」と「帚木」の間にこれらの内容があってしかるべきであるとされる(現に、この脱落を補うための帖が後世の学者によって幾作か書かれている)。藤原定家の記した「奥入」にはこの位置に「輝く日の宮(かがやくひのみや)」という帖がかつてはあったとする説が紹介されており、池田亀鑑や丸谷才一のようにこの説を支持する人も多い。つまり、「輝く日の宮」については、 もともとそのような帖はなく、作者は1 - 3のような描写をあえて省略した 「輝く日の宮」は存在したが、ある時期から失われた 一度は「輝く日の宮」が書かれたが、ある時期に作者の意向もしくは作者の近辺にいた人物と作者の協議によって削除された(丸谷才一は藤原道長の示唆によるものとする) の3説があることになる。「輝く日の宮」は「桐壺」の巻の別名であるとする説もある。 それ以外にも、故実書のひとつ『白造紙』に含まれる「源氏物語巻名目録」に、「サクヒト」「サムシロ」「スモリ」といった巻名が、また、藤原為氏の書写と伝えられる源氏物語古系図に、「法の師」「巣守」「桜人」「ひわりこ」といった巻名がみえるなど、古注や古系図の中にはしばしば現在みられない巻名や人名がみえるため、「輝く日の宮」のような失われた巻がほかにもあるとする説がある。当時の人々はこのような外伝的な巻々まで含めたものまでを源氏物語として扱っていたとみられるため、このような形の源氏物語を「源氏物語の類」といった形で把握する説もある。このほか、『更級日記』では『源氏物語』の巻数を「五十余巻(よかん)」としているが、これが54巻を意味しているのかどうかについても議論がある。 2009年(平成21年)11月には「巣守帖」と思われる写本の一部が中央大学教授の池田和臣によって発見されたと報道されており、今後の研究が待たれる。
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