劉琨と結託とは? わかりやすく解説

劉琨と結託

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/02 06:53 UTC 版)

拓跋猗盧」の記事における「劉琨と結託」の解説

310年10月并州刺史劉琨拓跋猗盧使者送り、子の劉遵人質とさせた。拓跋猗盧はその意を喜び厚く褒美贈った同時期、白部大人反乱起こして西河進軍し、これに応じて鉄弗部劉虎雁門挙兵し劉琨の守る新興雁門の二郡を攻撃した劉琨拓跋猗盧のもとへ使者派遣し、腰を低く礼を尽くして救援求めた拓跋猗盧は甥の拓跋鬱律に将騎2与え劉琨助けさせた。拓跋鬱律白部大破し、さらに劉虎攻め、その陣営落とした劉虎は西の朔方逃走した。これにより拓跋猗盧劉琨結びつきはさらに強くなり、両者義兄弟契り結んだその後劉琨の上表により、拓跋猗盧は大単于・代公に封じられた。だが、代郡幽州属しており、幽州を統治していた王浚代郡開け渡すのを拒絶した拓跋猗盧王浚から攻撃受けたが、これを撃退した。これ以来王浚劉琨敵対するようになった劉琨はまた拓跋猗盧使者送り洛陽救援のために援軍要請すると、拓跋猗盧は歩騎2派遣してこれを助けた代郡拓跋猗盧本拠地盛楽から離れていたため、彼は1万余り部落率いて雁門移り、陘北(雁門関北側一帯)を封地とするよう求めた劉琨はこれを止めることができず、また拓跋猗盧兵力頼みとしていたこともあり、楼煩馬邑陰館繁畤・崞の民を陘南へ移住させ、この5県を拓跋猗盧与えた以来拓跋猗盧勢力は、さらに増大した劉琨太傅司馬越使者派遣し拓跋猗盧と共に出兵して劉聡石勒討とう持ちかけた。だが、司馬越青州刺史苟晞豫州刺史・馮崇に背後突かれることを恐れ断った劉琨征討諦め拓跋猗盧謝罪し、その兵を本国へ帰らせた。 311年劉琨牙門将の邢延は新興反乱起こし劉聡招き寄せた。拓跋猗盧は軍を遣わしてこれを討ち劉聡を退走させた。 312年3月、靳沖・卜珝らが晋陽攻めると、拓跋猗盧救援軍派遣し、これを撃退した8月劉琨使者送り劉聡石勒討伐するため、援軍要請した拓跋猗盧劉琨忠義をもってこれを認めたその間に、劉聡は子の劉易劉粲および族弟劉曜晋陽派遣し劉琨父母殺しその城を占拠した劉琨はこのことを報告すると、拓跋猗盧大い怒った10月長子拓跋六脩拓跋猗㐌の子拓跋普根および衛雄・范班・箕澹らを前鋒として遣わし拓跋猗盧20統べ後継となった劉粲恐れて輜重焼き攻囲突破して遁走した。拓跋六脩は、劉曜と汾東で戦い、これを大い破った劉曜劉粲らは晋陽戻ったが、夜の間に蒙山越え平陽撤退した11月拓跋猗盧追撃をかけ、その将の劉儒・劉豊・簡令・張平・邢延を斬り、屍は数百里にもわたったその後拓跋猗盧寿陽山で大規模な狩猟行った劉琨拓跋猗盧陣営拝謝来て拓跋猗盧は礼をもってこれをもてなした劉琨強く進軍求めたが、拓跋猗盧は 「我の救援遅れた為に、君の父母殺されてしまい、心から申し訳なく思う。ただ、君は并州回復することが出来た。しかも、我は遠方から来て兵馬疲弊しており、みな戦役終結待っている。それに、賊徒簡単に滅ぼせるものでもない。一旦兵を退き時期待ってもよいのではないか。」と言った劉琨敢えてそれ以上は何も言えず、拓跋猗盧従ったこの後劉粲らは再び攻勢掛け遂に晋陽攻略した拓跋猗盧は自ら兵を率いて劉粲の軍を破ると、劉琨は再び晋陽入城した拓跋猗盧劉琨に馬、牛、羊各千頭余りと車百乗を譲ると、将の箕澹、段繁等に晋陽守備命じて帰還した313年5月王浚拓跋猗盧大金送り慕容廆と共に遼西公の段疾陸眷討伐求めた拓跋猗盧はこれを容れ、拓跋六脩派遣させたが、拓跋六脩段疾陸眷敗れて撤退した6月拓跋猗盧劉琨と陘北で会合し平陽攻略の策を練った7月劉琨谷に進むと、拓跋猗盧拓跋普根派遣して北屈駐軍させた。劉琨監軍の韓拠に命じ西河から南下して平陽西の西平城に向かわせた。漢帝劉聡大将軍劉粲劉琨を、驃騎将軍劉易拓跋普根を防がせ、蕩晋将軍陽に西平城を救援させた。拓跋猗盧らは漢軍が動いたと知ると退却した

※この「劉琨と結託」の解説は、「拓跋猗盧」の解説の一部です。
「劉琨と結託」を含む「拓跋猗盧」の記事については、「拓跋猗盧」の概要を参照ください。

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