劉虎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/22 19:04 UTC 版)
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姓名 | 劉 虎 |
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時代 | 後漢時代 |
生没年 | ?- 200年[1] |
字・別号 | 〔不詳〕 |
本貫・出身地等 | 兗州山陽郡高平県 |
職官 | 〔不詳〕 |
爵位・号等 | - |
陣営・所属等 | 劉表 |
家族・一族 | 従父:劉表 |
生涯
劉虎に関することは『呉志』孫策伝が引く『江表伝』と『呉録』にわずかに述べられている。
呉の孫策が黄祖と戦ったときに、劉表の命で南陽の人である韓晞とともに長矛で装備した五千人の部隊を率いて救援に向かったが、かえって孫策に撃破された。
12月8日に黄祖・劉虎・韓晞が沙羡まで進撃した。11日に孫策は周瑜・呂範・程普、弟の孫権・韓当・黄蓋らに命じて、矢を浴びせて攻撃した。その結果、黄祖は逃れたが劉虎と韓晞ら二万余の首級が奪われる結果となった。
脚注
- ^ 《資治通鑑·漢紀五十五》
伝記資料
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