豫章郡平定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 05:29 UTC 版)
大軍を手中にした孫策は、次の敵として劉表配下の黄祖に攻撃を向ける。父の仇である黄祖とはこれ以上ない因縁があり、孫策が揚州・廬江を手にしたことで目と鼻の先の勢力同士にもなった両者の対立は必至であった。黄祖は劉表に援軍を求め、劉表は劉虎らを増援として派遣した。黄祖ははじめ、劉虎らを孫策と前線で戦わせ自らは後方支援する形で戦ったが、孫策軍は先鋒の劉虎・韓稀をすぐに破って斬首したため、これを見た黄祖は軍を後退して夏口において専守の体勢をとった。戦線が膠着状態に陥ったため、孫策は一時退却し、まずは豫章を平定することを先決とした。 孫策はまず虞翻を豫章太守華歆の元に送って投降させた。豫章南部の廬陵の太守を名乗っていた僮芝には新たな太守を派遣して対立させ、僮芝が病にかかった報を聞くと周瑜を送ってこれを壊滅させた。また、韓当・蔣欽・周泰らを県令に任命して反乱鎮圧に回らせ、呂範を鄱陽、周瑜を巴丘に派遣して反乱勢力を鎮圧した。劉表の抑えとしては太史慈を豫章郡西部の都尉につけた。孫策はここに江東、江南の大部分をその支配下に治めた。
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