判決とその後の余波
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「オーバ・チャンドラー」の記事における「判決とその後の余波」の解説
1989年6月13日、ジョーン・ロジャーズとその2人の娘は故郷の町で埋葬された。葬儀では家族と友人の計300名ほどが出席した。葬儀の際、大勢の警察官が記者やテレビクルーを教会に入れないように見張った。 1994年11月4日、チャンドラーは殺人の容疑で有罪となり、死刑判決が言い渡された。チャンドラーは自身の無実を主張し続け、フロリダ死刑囚監房にいる間は控訴を求め続けた。チャンドラーはマデイラビーチでの件については認めたが、性交は合意の上であり、ブレアが行為の最中に気が変わったのだと述べた。チャンドラーは既にロジャーズたちの殺害で死刑を宣告されており、検察はブレアのトラウマを刺激したくないと考えたため、チャンドラーはブレアの強姦の件では起訴されなかった。 チャンドラーは連邦矯正施設で死刑執行を待つ身となった。裁判で有罪を宣告されてから間もなく、チャンドラーの妻が離婚訴訟を起こし、1年後に正式に夫婦関係は解消された。チャンドラーは自分の娘に会うことが禁止され、元妻の希望により、後にその写真を見ることも禁じられた。2008年7月、チャンドラーの名がフロリダ州の死刑執行対象の最終候補の名簿に掲載された。プロファイリングの専門家は、初めての殺人で大胆にも3人の女性を一度に誘拐して殺害するということは考えにくいことから、チャンドラーは以前にも殺人を犯していた可能性があると推測した。チャンドラーは1982年に女性が殺害された事件の被疑者にもなっていた。その女性の遺体はアンナマリア島(英語版)で海中を漂っているところを発見された。結局、2011年に遺体の身元が29歳のエイミー・ハースト (英: Amy Hurst) であると判明し、その夫が殺人の容疑で逮捕・起訴されて疑いが晴れた。チャンドラーは別の殺人で起訴されることはなかった。チャンドラーは何度か上告したが全て却下された。最後に上告したのは2007年5月のことだった。 チャンドラーは有罪になってから、メディアによりフロリダで最悪の犯罪者の1人として扱われた。チャンドラーは処刑される前には最期の言葉として「俺の赤いケツにキスしろ」("Kiss my rosy red ass.")と発言するつもりであると述べた。2011年5月、ケーシー・アンソニー(英語版) (英: Casey Anthony) が起こした殺人事件の裁判を前にして、チャンドラーの事件と裁判が比較された。どちらの事件でも、メディアの関心が高まったことにより、陪審員は犯行が行われた郡以外に住む人から選ばれた。1994年のチャンドラーの裁判で陪審員を務めた人物の1人が、裁判の際に陪審員の中に恐怖を覚えた者がいたと語った。その人物によると、チャンドラーは自分たち陪審員の方をじっと見て、にやりとおぞましい笑みを浮かべたという。 1994年のチャンドラーの裁判で裁判長を務め、最終的に判決を下したスーザン・F・シェーファー (英: Susan F. Schaeffer) 裁判官は、2011年のインタビューでチャンドラーを魂のない男 (英: a man with no soul) と表現した。
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