初期仏教における戒と律
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 21:37 UTC 版)
「日本仏教の戒律史」の記事における「初期仏教における戒と律」の解説
初期仏教はインドにおけるバラモン主義(血統による身分制度)を否定する立場から生まれる。つまり「生まれに関係なく修行により精神を高め、悟りに達することができる」とするのが仏教の特性の一つである。仏教での修行は精神集中と教典(仏陀の言葉)を唱えることが中心となるが、出家者には修行を徹底するために自活の放棄が求められた。そのため出家者は在家信者からの布施に全面的に頼って生きることを絶対の規範とした。出家者にとって布施を得られない事は修行の道を絶たれる事に他ならず、それゆえ在家信者から尊敬されるような立派な修行生活を送ることが求められる。また、出家者はサンガと呼ばれる集団で生活することとされた。サンガのメンバーの誰かが悪い行いをすることは、サンガ全体が社会から非難される事に繋がり布施を得られなくなりかねないため、サンガ内部で暮らす出家者たちが守るべき統一規則が生まれる。これが「律」である。サンガにおける律は、国家における法律に近い意味をもち、罰則を伴う。ここで罰を与える主体はサンガであり、軽い罪は懺悔、最も重い罰はサンガからの追放である。また律の内容は「鱗や鰓をもつ魚を食べない」などの極めて具体的な内容であり、膨大な量の禁止条項と運営規則からなる。このように律は、サンガと在家信者との関係性によって生まれた社会的規則であり、ゆえにサンガを取り巻く社会的環境(地域・時代・文化など)が変われば、それに合わせて律も変化する。 一方で「戒」は社会やサンガとは無関係な自発的なもので、悟りに近づくための宗教的真理であり、道徳の意味に近い。したがって戒を破っても罰はなく、単に悟りに近づけないという自分自身の問題に帰結する。条文も少なく「嘘をつかない」など内容も漠然としている。しかし戒は宗教的真理であるゆえに社会の変化とは関係なく、悟るための絶対的な条件を意味する。 しかし、こうした戒と律の相違は、インド仏教でも後期になると混乱が見られ、中国で「戒律」という語が作られた段階で混乱が決定的となった。ここでの戒とは「律を守ることを自発的に誓う」ことを意味し、戒と律は混同されている。一方では膨れ上がった規定はやがて改変されることがなくなり、受戒もそれに応じて形式化・形骸化されていく。
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