初期仏教の集団について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 18:26 UTC 版)
人は同類の人と交わり一体となるという考えがゴータマにはあり、初期の集団では、比丘となる前に属していた集団や、比丘尼の集団、修行の段階ごとの集団などでまとまって生活をしていたようである。 あるときゴータマはギッジャクータ山にいて、弟子の集団を見ていたという。ゴータマからあまり遠くないところで、サーリプッタ(大いなる智慧を持っている比丘の集団)、モッガラーナ(大いなる神変を持っている比丘の集団)、カッサパ(林野に住み、厳しい修行生活を説く比丘の集団)、アヌルッダ(天眼を持っている比丘の集団)、プンナ(説法者とされる比丘の集団)、ウパーリ(戒の保持者とされる比丘の集団)、アーナンダ(多聞とよばれる比丘の集団)、デーヴァダッタ(ゴータマの方針とは異なる方針の比丘の集団)は、それぞれ多くの比丘たちと修行をしていたとされる。、 サーリプッタの例でいうと、彼はモンガッラーナとともに、それまで属していたある沙門の弟子250人とともに、ゴータマの弟子となったとされるので、基本的にはその集団に対して、ゴータマは対機説法を行っていたようである。また、ゴータマは尼僧の集団をはじめてつくったとされている。尼僧の集団については、集団をけん引する指導者がはっきりせず、アーナンダが説法をしていたようであるが、未熟な比丘尼が多かったようである。カッサパは九次第定と六神通とに関してゴータマと等しいとゴータマから認められた開悟者とされたが、対機説法においては、対機した幾人かの比丘尼が還俗したりしたことが記されており、慈悲という面では、及ばないところがあったようである。 デーヴァダッタの属していた集団は、悪人の集団と表記されているが、伝説にあるような悪行をなしたわけではなく、ゴータマの方針とは異なる方針を持っている異端者の集団というくらいの意味であったとされている。デーヴァダッタは当時の遊行の沙門たちが守るべき厳格な禁欲主義である、林野に住み、托鉢のみ、糞掃衣のみ、屋根のある家に住まない、魚や肉を食べないという、ゴータマの方針(定住生活に移行)とは異なる五つの法則を定め、自ら従ったとされる。それを支持した遊行の沙門たちとともに集団を形成したようであるが、悪行の伝説が創作されたのは、デーヴァダッタの死後であるとされる。ゴータマ自身は厳格な修行者としてのデーヴァダッタも受け入れ、対機説法をなしていったようである。
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