切手収集の歴史
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世界最初の切手、イギリスのペニー・ブラックと2ペンス・ブルーが発行された直後からその収集は始まったといわれる。この翌年、1841年にロンドンの「ザ・タイムズ」紙に、使用済み切手を自分の化粧室の壁紙にしたいが、手持ちの1万6000枚ではとても足りないので提供願いたい、との内容の広告が掲載された。これは切手収集なる行為を確認できる最古の事例とされる。これは切手そのものの稀少性、絵柄などに着目する、今日の一般的な意味での切手収集とは違うが、初期の切手収集はこうしたものであった。その主な担い手は女性たちで、彼女たちは自宅の壁や天井、家具の装飾として貼り付けることを目的に切手を収集した。1842年の「パンチ」誌はそうした女性たちを「ヴィクトリア女王の首集め(世界最初の切手ペニー・ブラックの図柄が、ヴィクトリア女王の首から上の横顔の肖像だったことに因んでの喩え)にかける情熱には、首切りに血道をあげたヘンリー8世もかなわぬ」と揶揄した。 今日的な性格の切手収集が、主に男性たちによってはじめられたのは1850年代に入ってからのこととされる。1860年代に入ると、ロンドン橋に近いバーチン・レーン界隈に老若男女が集まり、盛んに切手を交換し合う光景が見られたが、警察当局はこれを不審視し、監視下においた、といわれている。このころ切手収集家は「ティンブロマニアック(切手狂い)」と呼ばれていたが、かねてからこの名称を不快に感じていたフランス人収集家ジョルジュ・エルパンは1862年、ギリシャ語の"Philos"と"atelia"をつなぎ合わせた造語"Philately(郵趣)"を考案した。これは日本語に直訳すれば「料金を徴収されないことを好む」という意味になる。切手によって象徴される、料金前納を軸とする近代郵便制度を支持し、そしてそれに使用される金券である切手を愛好、収集するという意味であると考えられる。 日本においては、1957年にグリコが「世界の切手をあなたに」のキャッチフレーズで商品のおまけに国内外の切手を入れたことを端緒として、1950年代後半から1960年代頃にかけて切手ブームが起こった。当時は新しい切手の発売日には郵便局に購入希望者が長蛇の列をなして並ぶ光景が見られた。現在は多種多様なジャンルをテーマティクとして楽しむ、健全な趣味として定着していると思われる。また「可愛い」グッズとして楽しむ傾向もある。 日本切手の中では、1948年(昭和23年)発行の5円切手「見返り美人」(菱川師宣画)や、1949年(昭和24年)発行の8円切手「月に雁」(歌川広重画)などが価値あるものとして一般に知られている。このため、記念切手が高価なものの代名詞であるかのように誤解されがちだが、実際には記念切手はその性質から未使用で保存されている場合が多い為、希少性は不発行切手などの一部の切手を除いて高いとはいえない。稀品の多くは発行回数が多いために変種などが生まれる可能性の高い普通切手であることが多い。 日本における主要な切手収集(郵趣)組織としては、財団法人日本郵趣協会がある。
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