切手収集家として
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当初、金井は一般的な切手収集家であったが、第二次世界大戦後に日本、フィンランド、イギリス植民地の切手の専門的な収集家となった。郵趣家どうしの交流を通して、金井はモーリシャスの「ポストオフィス切手」(「ブルー・モーリシャス」、Red and Blue Mauritius "Post Office" stamps)に注目するようになり、やがてその所有者となった。この貴重な切手は確認されているものが27枚あるが、そのうち6枚を個人所有し、この切手の最大のコレクターとなった。 1971年に金井は、1ペニーの赤い切手と2ペンスの青い切手を貼付してボルドーの宛先に郵送された「ボルドー・カバー」(ボルドー・レターとも)と呼ばれるカバー (Philatelic cover) を、1億2000万円で購入した。1988年、金井はボルドー・カバーを売却し:13、残る金井のモーリシャス切手コレクションは1993年、デヴィッド・フェルトマン(David Feldman)によってチューリヒでのオークションにかけられた。モーリシャスの古い切手183ページからなるこの「金井コレクション」は、ギネスワールドレコーズに「最も高価な切手コレクション」として認定されている。金井は多くの郵趣家の賞を受賞し、晩年は財団法人郵趣文化センター(2007年、切手文化博物館に改称)理事長、有馬切手文化博物館(神戸市)館長を務めた。
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切手収集家として
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市田は、日本の手彫切手について多くの著作を行った。 『切手の愉しみ』(池田書店、1958年) The dragon stamps of Japan, 1871-1872 (池田書店、1959年、英文) The Cherry Blossom Issues of Japan 1872–1876 (All Japan Philatelic Federation、1965年、英文) 『墨六』(私家版、1968年) 『和紙青色一銭切手』(私家版、1970年) 『竜切手』(私家版、1971年) 『桜切手 1872~1876』(私家版、1982年) The Dragon Stamps of Japan 1871–1872 (1959), The Cherry Blossom Issues of Japan 1872–1876 (1965) といった業績に対し、1966年には Crawford Medal が授与されている。このほか、The Six Sen Violet Brown Native Paper Stamp 1874 などの著書がある。 市田はアジア郵趣連盟 (Inter-Asian Philatelic Federation) を設立して会長を務めたほか、日本郵趣連合 (All-Japan Philatelic Federation) の会長を務めた。 市田は、その仕事によって多くの郵趣の賞を与えられた。 1966年 - Crawford Medal 1971年 - Roll of Distinguished Philatelists 1972年 - Lichtenstein Medal 1984年 - Luff Award 1987年 - American Philatelic Society Hall of Fame
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