郵趣家として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 06:18 UTC 版)
福井和雄は「日本最高の日本切手収集家」「日本の切手収集の歴史の上で小島を上回る人物はいない」という評があることを紹介している。福井自身は、当時と現代とでは収集方法も異なるとし、後に続いた国際的に著名な収集家として市田左右一や金井宏之の名を挙げているが、小島は日本の切手収集の歴史の上で忘れることはできない人物と記している。 小島は、大正時代に随一のコレクターと言われた藤尾鷲三の日本切手コレクションを一括して買い受け、イギリスの切手商を通じてデュヴィーン・コレクションを入手するなど、内外の著名コレクションを集めた。1925年(大正14年)11月には郵趣雑誌に日本の切手を「一葉の欠品もなく」蒐集したという挨拶広告を出している。福井和雄は、小島のコレクションは質量ともに圧倒的で、これに匹敵するものは金井コレクション以外ないと評している。 コレクターとしての態度は「非常に厳正」であったという。好悪の情が激しく尊大との評もあったが、一方で自らが率いる日本愛郵協会の主催で1940年(昭和15年)に「切手祭典」を挙行し、郵趣家の親睦を図るなどの社交性も有していた。切手祭典は敗戦の1945年(昭和20年)も含め1956年(昭和31年)まで毎年開催された。
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