出立王子とは? わかりやすく解説

出立王子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 00:23 UTC 版)

九十九王子 (田辺市・上富田町)」の記事における「出立王子」の解説

出立王子(でだちおうじ)は、芳養王子発ち古道南下して国道42号および紀勢本線沿いに進み天神崎過ぎた会津川河口手前の上野山台地中腹南側にある。田部(たべ、たのべ)王子(後の「たなべ」)とも呼ばれた前出の『田辺神社書上帳』によれば本地仏十一面観音とされる。 『中右記天仁2年1109年10月22日条に「次行田之陪、於王子社又奉幣」とあり、「熊野道之間愚記」建仁元年1201年10月12日条には「出立王子」、『民経記承元4年1210年4月27日条に「田部王子」とある。 当地での塩垢離潮垢離)の儀式は特に重視された。塩垢離とは「海水浴びて身の穢れ祓う儀式」のことで、中辺路へ向かう者は塩水浴び、海に別れ告げた。 この儀式が行われたのは、田辺市江川町西方海浜で、古くは「塩垢離浜」、「出立浜」と称された。中世参詣記に「塩古利」(『中右記』)、「塩コリ」(「熊野道之間愚記」)、「潮御浴並御禊」「浴潮」(『民経記』)などとたびたび登場するその後も『熊野縁起参詣間作法条に、この儀式由緒役行者熊野詣に求め記述や、応永34年1427年)の『熊野日記8月25日条などにも見られる。しかし、この頃史料からは、先達にとっても儀式意義作法不確かになっている様子分かる中世熊野詣の頃の鎮座地定かではないが、江戸時代にはおおむね会津川河口付近にあったと見られる1872年明治5年)に村社に列格されるが、1907年明治40年)に田辺市元町(現在の田辺市上の山)の八立稲(やたちね)神社合祀され、以来神社境外摂社である。かつては社地土塀囲まれていたが、1968年昭和43年)に近隣小学校改築工事の際に、工事車両乗り入れ障害なるとし取り壊され、後にブロック塀にて再建されたため、古い土塀はわずかしか残されていない。かつて潮垢離使われていた浜も1920年大正9年)から1921年大正10年)にかけて埋め立てられ公園になり、跡地に「潮垢離旧跡」碑が建っている。王子社址は和歌山県指定史跡1958年昭和33年4月1日指定)。 社祠潮垢離旧跡」碑

※この「出立王子」の解説は、「九十九王子 (田辺市・上富田町)」の解説の一部です。
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