芳養王子(芳養大神社)
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「九十九王子 (田辺市・上富田町)」の記事における「芳養王子(芳養大神社)」の解説
芳養王子(はやおうじ)は、芳養川河口東岸の砂丘上に位置する。寛政4年(1792年)付の古記録『田辺領神社書上帳』によれば 本地仏は十一面観音。 『中右記』天仁2年(1109年)10月22日条に「早王子」の名で登場し、奉幣や納経を行ったとある。以後、「熊野道之間愚記」(後鳥羽院参詣記、『明月記』所収)建仁元年(1201年)10月12日条に「ハヤ王子」、『民経記』承元4年(1210年)4月27日条に「羽屋」、仁和寺蔵の14世紀の文書『熊野縁起』には「羽野」、文明5年(1473年)の『九十九王子記』に「ハヤ」などの記載が見られるが、『紀伊国名所図会』や『紀伊続風土記』といった近世の記録では「芳養」の表記が多い。 しかし、『和歌山県聖蹟』に収められた社蔵棟札の記録によれば、正和3年(1314年)付で「再興若一王子権現堂紀州牟婁郡芳養村鎮座」とあり、芳養の鎮守として崇敬されていたことのほか、既に中世より若一王子とも呼ばれていたことが分かる。 明治期の神仏分離の際にいくどか改称した後、1872年 (明治5年)に、現行の大神社(おおじんじゃ)の社名になった。和歌山県指定史跡(1958年〈昭和33年〉4月1日指定)。
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