住吉神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/30 02:07 UTC 版)
1010年(寛弘7年)、琵琶湖で時化(しけ)に遭った清仁親王(きよひとしんのう、花山天皇の皇子)が、船首で住吉大神の加護を祈り、当地周辺の漁師に助けられたという。その縁から当社社殿を構えたとされる。
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住吉神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:04 UTC 版)
住吉神社は島の北部から延びる砂嘴の突端にあり、主祭神として表筒男命・中筒男命・底筒男命の住吉三神を祀る。縁起によれば、神功皇后が新羅出兵の時、神集島に神々を集め、海上の安全を祈ったという。 境内には蒙古襲来の際の蒙古碇石と称するものがある。暴風雨で外洋に逃げようとした蒙古軍船が海中に捨てたものといわれ、昭和2年に住吉神社沖合から引き揚げられた。凝灰岩製で、長さ2.68m、最大幅0.38m、最大厚み0.26m。玄界灘沿岸で発見された蒙古碇石30例のうち、湊の八坂神社のもの次いで大きい。市指定文化財。
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住吉神社(すみよしじんじゃ / 仁保四丁目 / 旧・淵崎字柞木)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 18:09 UTC 版)
「仁保 (広島市)」の記事における「住吉神社(すみよしじんじゃ / 仁保四丁目 / 旧・淵崎字柞木)」の解説
祭神は表筒男神・中筒男神・底筒男神。邇保姫神社の摂社で1793年(寛政5年)勧請された。かつてはこの付近に仁保島村(のち仁保村)役場が存在した。
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住吉神社(東京都中央区)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 09:38 UTC 版)
「船渡御」の記事における「住吉神社(東京都中央区)」の解説
東京都中央区にある住吉神社の3年に1度行われる例大祭に執り行われる神事の一つ。古来、佃の渡しから神輿を担いだまま海に入る海中渡御を再現したもの。 海中の汚染などの理由から、1962年の例大祭を最後に中断されていたものを1990年の例大祭から復活させた。2005年例大祭は、住吉神社鎮座360年記念大祭とし、東京湾上で海上祭も執り行われる。
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住吉神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 04:39 UTC 版)
本殿・瑞垣及び門が県重文。御手洗外港(千砂子波止)整備に伴い鴻池家の寄進で、文政11年(1828年)住吉大社を勧請して建立。全国的に少なくなった本格的な住吉造。瑞垣には砂持として工事に参加した茶屋の芸妓の源氏名が刻まれている。
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住吉神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 07:15 UTC 版)
基肄城築時に作られた南水門の隣接地には住吉三神を祀る住吉神社がある。勧請年は不詳だが天明4申辰年(1784年)の石製祠があり、現在に残る建物の築造は江戸時代に遡ると考えられている。
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