伝説の真贋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/24 22:31 UTC 版)
ビスケットの絵柄も含めて、双子を描いたもののほとんどで腰と肩がつながっている。そういった症例は理論的にはありうるものであるが、彼女たちの場合は腰だけでなく肩もつながっており、そういった双子が生存可能であったケースはいままで記録されていない。 彼女たちが実在の人物であることについては明らかな証拠が見つかるのだが、この双子が生きたのは実際には16世紀だというのがクリンチの主張である。一般に考えられていた12世紀始めという説が誤りであるというのは、その頃の雑誌や書物で彼女たちについて言及しているものは存在しないからである。しかしこの説には異論もある。ラザロとヨハネ・コロレド(1617-1646以後)という結合双生児の存在を世間に知らしめた兄弟がいたのだが、同じく身体の繋がった姉妹がサウス・イースト・イングランドで成年に達するまで生きていればもっと広く記録が残っているはずだというものである。 1895年に外科医のJ.W.バランタインがビデンデンのおとめの症例を奇形学の見地から考察し、彼女たちが実は臀結合体(骨盤の所で結合がみられる)だったのではないかと述べている。臀結合体の双子は歩く時に両腕が互いの肩にぶつかることで知られているため、絵の中の双子の肩がつながって描かれていることの説明がつくとバランタインはいう 。ミリーとクリスティーヌ・マコイはアメリカに渡り歌手として成功する以前にイギリスに住んでいたことがある臀結合体の姉妹だが、この症状をもって生まれても、成年に達することはありうるという例として知られている。 「エリザとメアリ・チャルクハースト」という名前がどの文献にも見つからず後世のものではつけ加えられている点についてはジョン・ボンデソンも説明を試みている。彼は、双子の存在を疑ったり生年が1100年であるという主張を安易に退けるべきではないという。中世の年代記はあまり確かなものではないとはいえ、「スコトラム・クロニクル」や「フォーマスターズ年代記」、「クロンマクノイズ年代記」など複数の史書から1100年前後に生まれた結合双生児についての記述が見つかるからだ。とはいえ、それらは全てアイルランドの歴史について書かれたもので、地理的に考えてケント州に言及しているはずがない。ボンデソンの結論は次のようなものである。臀部が結合していたマコイ姉妹は、ミリーが亡くなってから8時間後にクリスティーヌも息を引き取るのだが、このエピソードは伝説にあるビデンデンのおとめたちの6時間という数字をもっともらしいものにしているし、マコイ姉妹の例は、肩もつながっているチャルクハースト姉妹の姿はビデンデンのビスケットの絵柄を後世の人間が誤って解釈したものだというバランタインの説にも納得がいく 。ボンデソンは1770年以前には言い伝えの記録が残されていないということにも触れて、18世紀の教区の村民たちにとって物語をあえて偽造する動機はありそうもないと指摘している。
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