休筆以後
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1972年から一度目の休筆に入り、その間の1973年に『面白半分』編集長を半年間務める。1974年に執筆活動を再開。リチャード・バックの「かもめのジョナサン」の翻訳を刊行、ベストセラーとなる。1975年、日刊ゲンダイでエッセイ『流されゆく日々』の連載を開始した。このエッセイは、2021年現在も続く長寿連載となる(2008年に連載8000回の世界最長コラムとしてギネス世界記録に認定、2016年には連載10000回を達成)。ただし、このエッセイは1週間にわたって引用が続くこともあるなど、自著や過去の連載記事を引用することが多い。この頃から頸肩腕症候群に悩まされるようになる。1976年、『青春の門・筑豊編』により、第10回吉川英治文学賞を受賞。1981年からは再び執筆活動を一時休止し、龍谷大学の聴講生となり仏教史を学び、蓮如による講の組織になどに関心を持った。 1984年に山岳民の伝説を題材にした『風の王国』で、執筆活動を再開した。1985年に国鉄のキャンペーン「エキゾチックジャパン」をプロデュース。1987年にトルコ、1988年にロシア、東西ベルリン、1990年にポーランド、1992年にロシアなど、世界各地を精力的に回る。ポーランドの民主革命の際には「ワレサはポーランドの蓮如である」と発言して物議をかもした。吉川英治文学賞、坪田譲治文学賞、小説すばる新人賞選考委員なども務め、特に直木賞は1978年から32年間に渡り務めた。1998年には『大河の一滴』がベストセラーとなり、2001年に同タイトルが映画化されるなど、五木を知らない世代にも五木の名を知らしめた。また、2002年にはそれまでの執筆活動に対して菊池寛賞を受賞した。2003年から2年間に全国の100の寺院を巡り『百寺巡礼』執筆。2004年には仏教伝道文化賞を受賞した。2009年にはNHK放送文化賞を受賞した。2010年には『親鸞』上・下により、第64回毎日出版文化賞特別賞を受賞した。2022年、日本芸術院会員に選出される。
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