休筆以後とは? わかりやすく解説

休筆以後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 15:04 UTC 版)

五木寛之」の記事における「休筆以後」の解説

1972年から一度目の休筆入りその間1973年に『面白半分編集長半年務める。1974年執筆活動再開リチャード・バックの「かもめのジョナサン」の翻訳刊行ベストセラーとなる。1975年日刊ゲンダイエッセイ流されゆく日々』の連載を開始した。このエッセイは、2021年現在も続く長寿連載となる(2008年連載8000回の世界最長コラムとしてギネス世界記録に認定2016年には連載10000回を達成)。ただし、このエッセイ1週間わたって引用が続くこともあるなど、自著過去の連載記事引用することが多い。この頃から頸肩腕症候群悩まされるうになる1976年、『青春の門筑豊編』により、第10回吉川英治文学賞受賞1981年からは再び執筆活動一時休止し龍谷大学聴講生となり仏教史学び蓮如による講の組織になどに関心持った1984年山岳民の伝説題材にした『風の王国』で、執筆活動再開した1985年国鉄キャンペーンエキゾチックジャパン」をプロデュース1987年トルコ1988年ロシア東西ベルリン1990年ポーランド1992年ロシアなど、世界各地精力的に回る。ポーランド民主革命の際には「ワレサポーランド蓮如である」と発言して物議かもした吉川英治文学賞坪田譲治文学賞小説すばる新人賞選考委員なども務め、特に直木賞1978年から32年間に渡り務めた1998年には『大河の一滴』ベストセラーとなり、2001年に同タイトル映画化されるなど、五木知らない世代にも五木の名を知らしめた。また、2002年にはそれまで執筆活動に対して菊池寛賞受賞した2003年から2年間に全国100寺院巡り『百寺巡礼執筆2004年には仏教伝道文化賞受賞した2009年にはNHK放送文化賞受賞した2010年には『親鸞上・下により、第64回毎日出版文化賞特別賞受賞した2022年日本芸術院会員選出される

※この「休筆以後」の解説は、「五木寛之」の解説の一部です。
「休筆以後」を含む「五木寛之」の記事については、「五木寛之」の概要を参照ください。

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