伏見支線の建設での問題と完成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 04:34 UTC 版)
「奈良電気鉄道」の記事における「伏見支線の建設での問題と完成」の解説
淀川(宇治川)の架橋については、当初は橋脚6基をたて、70フィートプレートガーダー7連の予定であった。架橋地点附近には陸軍第16師団・工兵第16大隊の演習場、そしてその北側には練兵場及び作業場があった。この練兵場と作業場の土地交換を16師団へ申請し、工期の短縮を図った。師団側から陸軍省への伺いが回され考究していたところ、工期が限られていたことなどから、省からの回答を待たずに工費80万円で無橋脚橋梁の澱川橋梁を架設することとし、追って陸軍省からも了承を得た。本橋梁は竣工当時東洋一の長さのトラス橋であり、現在でも単純トラス橋としては日本最長である(詳細は「澱川橋梁」参照)。 次に、桃山御陵の参道と奈良電の線路が交差する地点が発生したが、京都府の方針で平面交差は認められないとの意見が出され、一旦は伏見町内を地下線に変更することとしたが、地下線区間となる伏見町は日本で有数の酒造地帯であり、原料用の水脈を絶たれることを危惧した伏見酒造組合から反対の声が出た。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}善処策として京阪との接続地点を当初の伏見桃山駅より以北にすることを決め、前後0.2kmを5 m切り下げた掘割にする案も出されるが了解が得られず、[独自研究?]延長800mの第一伏見高架橋を建設することになった。 これらの諸問題が解決するまでの間、小倉 - 淀川(宇治川)左岸までの4.4kmについては1928年(昭和3年)3月23日に工事施行認可を得て向島工区とし、同年4月1日より工事を開始、同年8月には完成した。 澱川橋梁以北については、1928年(昭和3年)5月26日工事施行認可を得て工事を急ぎ、澱川橋梁は、同年10月16日、高架橋は9月にほとんど完成を見るに至った。 こうして路線建設計画が紆余曲折を重ねつつも進みつつあった1928年(昭和3年)、11月に京都御所で昭和天皇の即位大典が挙行されることになり、この即位大典にあたっては、神武天皇を祀る橿原神宮と大典が行われる京都を直結し、しかも沿線の伏見に伏見桃山陵が所在する奈良電気鉄道線の存在価値は非常に高く、大典までに全線の工事を完成させ、営業を開始することが急務とされた。
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