伊達郡5町合併の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 03:06 UTC 版)
「伊達市 (福島県)」の記事における「伊達郡5町合併の経緯」の解説
伊達郡では当初、桑折町、国見町、川俣町、飯野町を含む9町による郡全体での合併を検討し、2000年(平成12年)10月に伊達地方広域行政推進調査会を、2003年(平成15年)7月には伊達地方任意合併協議会を設置して協議してきた。しかし、川俣町、飯野町は福島市との合併を検討するとして離脱し、2003年(平成15年)12月に7町による伊達7町合併協議会を設置した。 法定合併協議会では地元住民を対象に、合併後の新市名を公募した。北海道に伊達市があるため、公募にあたっては選定基準、募集要項から「伊達市」を除外した。しかし、実際に公募を締め切ったところ、「伊達市」も多く寄せられた。 協議の結果、新市名称及び事務所の位置検討小委員会は公募で1位となった「だて市」のほか、「桃花(とうか)市」、「あぶくま市」、「新伊達市」、「伊達みらい市」の5点を最終候補とした。「伊達」に関する応募が多いこと、歴史があり永く親しまれてきた名称であること、沖縄県宮古島市の合併で既存市名である宮古市を用いる動きがあったことなどから、「伊達市」の取り扱いについては協議会に判断を委ねることとなった。 「市」の名称に、既存の市と同じ名称をつけることについては、これを避けるようにとする自治省(現総務省)の通知(昭和45年3月12日付け自治振第32号自治事務次官通知)があった。この通知について合併協議会が総務省に照会した結果、「既存市から異議がなければ問題はない」との回答を得た。その後北海道伊達市の意向を確認したところ、正式見解は得られなかったものの、合併協議会が独自の判断で新市の名称を定めることに対し「異議を唱える立場ではない」との回答を得た。こうした状況の変化から、協議会は公募で決まった5点の候補から「だて市」を選定し、それを漢字表記の「伊達市」にするという経緯を経て、最終的に新市名を伊達市とすることに決定した。 新市名については一般公募を行い、市名採用者の中から抽選で数名に記念品が贈られた。ただし、「『伊達市』を除く」として新市名を公募したにもかかわらず、最終的には伊達市が新市名となり、記念品は「だて市」と応募した人に贈られた。「『伊達市』を除く」という公募条件から、ひらがな市名を嫌って別の市名を応募した人も多く、この記念品贈呈の経緯にも批判の声がある。 その後、2004年(平成16年)8月になり桑折町長が突如合併協議会から離脱を表明。同年11月に離脱したため、残る6町は伊達6町合併協議会を設置し合併協議を継続することとなった。 間もなく国見町で行われた町長選挙で合併慎重派の町長が誕生し、合併協議からの離脱を表明した。同町議会は合併推進の立場で町長と対立し、一時は新市の誕生が危ぶまれた。 残った5町で2005年(平成17年)1月に新たに伊達5町合併協議会を設置し、3月に合併協定調印に漕ぎ着け、5町議会、福島県議会の議決と総務大臣の告示を経て、2006年(平成18年)1月1日に「福島県伊達市」が誕生することとなった。 なお、伊達郡飯野町は、福島市に2008年(平成20年)7月1日に編入された。さらに、福島市は、伊達市と伊達郡の全てと合併して福島市を中核市に格上げする構想、さらに二本松市や安達郡も合併に加えて政令指定都市をめざす構想もあるが、組織的な活動には至っていない。
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