令制国上の「九州」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 09:25 UTC 版)
一般に「九州」とは、令制国の西海道のうち筑前国・筑後国・肥前国・肥後国・豊前国・豊後国・日向国・大隅国・薩摩国の9国の総称とされている。四国と同じ理屈で、九国(きゅうこく、くこく)とも呼ばれたといわれる。なお、州とはくにと読める。つまり国の意味であり、九州は上記西海道の9つの国の意味であり、当時、琉球国は含まれていないため、現在の沖縄県を含めることは歴史的にも文法的にも誤りである。 この令制国に基づく定義だと、九州島の九国と、この九国に編入された周辺の附属島嶼が「九州」の範囲となる。ただし周辺の島嶼が九国の令制国に編入された時期はそれぞれ異なるため、歴史を通し一義的な範囲には定まらない。 対馬国と壱岐国は九国に編入された事は一度もない。 五島列島は値嘉島として876年に肥前国より一時分立するが、それ以降は肥前国である。 大隅諸島の種子島・屋久島は702年に多禰国として分立するが824年以降大隅国に編入されている。 トカラ列島(十島)は1227年(鎌倉時代)に薩摩国へ編入された(のち大隅国)。 奄美群島は1879年(明治12年)4月に大隅国(鹿児島県)へ編入。それまでは名目上琉球の領域とされていた。 沖縄県の領域は、琉球王国時代と以前は元より、そもそも令制国に編入された事は一度もない。 このように編入時期が異なる事による意識および解釈の差が存しうるが、少なくとも一度も編入された事がない壱岐、対馬、および沖縄県の領域は、令制国上の「九州」には含まれないことになる(なお、奄美群島は日本本土における廃藩置県・府県合併および琉球処分の後に大隅国《鹿児島県》に編入されたため、行政区分としての「九州」に組み込まれたのはそれ以降である)。さらに後述の太平洋戦争終戦後のアメリカ統治時期も令制国の範囲に変更はないので、この定義に変化はない事になる。 上記九国とともに対馬、壱岐を含む西海道は、九国二島、九州二島とも呼ばれた。また、西海道の別名として鎮西とも呼ばれていた。
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