令制後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 17:08 UTC 版)
詳細は「五畿七道」を参照 律令制下では五畿七道が置かれた。五畿はいずれの道にも属さず、畿内と総称された。道の下には国が置かれ、五畿と合わせて68国(奈良時代と明治時代に改廃があったが、その間の数字)があった。 ただし、西海道以外は実際に道の行政機関が置かれることはなく、名目的な行政区画だった。7世紀~12世紀ごろの西海道は例外で、大宰府が道の行政機関となった。 明治政府は1869年、北海道を追加し五畿八道とした。しかし、琉球と小笠原諸島及び列強の南下政策で喪失したが日露戦争後南部を回復した樺太など内地の一部や、外地(台湾・朝鮮・関東州・南洋群島)には、併合前の道を踏襲した朝鮮を除き、道は置かれなかった。南洋道問題も参照。 (畿内) 東海道 東山道 北陸道 山陰道 山陽道 南海道 西海道 北海道
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