令制国の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:22 UTC 版)
「令制国」も参照 令制国制度の経緯としては、明治維新(江戸幕府の終焉、版籍奉還)によって、国司制度が名実ともに廃止されたため、行政区分としての令制国はそれ以降に都道府県制が完全に施行されるまでの間、過渡的な意義だけを持つこととなった。 ただし、明治維新後の1869年1月19日(明治元年12月7日)に、戊辰東北戦争の処分として、布告により陸奥国(むつ)は磐城国・岩代国・陸前国(りくぜん)・陸中国(りくちゅう)・陸奥国(りくおう)の5国に、出羽国は羽前国・羽後国の2国に分割された。また戊辰箱館戦争終結直後の1869年9月20日(明治2年8月15日)、和人地および蝦夷地(北州)に北海道11か国を新たに設け、これにより五畿七道から五畿八道とした。 これに対し、琉球王国の実効支配領域(沖縄本島以西と、硫黄鳥島)が、律令上や法令上、令制国に組み込まれた事は現在に至るまで一度もない。そのため「琉球国」は令制国の1つではなく、五畿八道にも含まれない。
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