令制以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 09:24 UTC 版)
663年、白村江の戦いで新羅・唐連合軍に敗戦したヤマト政権は筑紫国に大宰府を置くこととし、また令制を整備しはじめ、7世紀末には、筑紫国を筑前国(現在の福岡県西部に当たる)と筑後国(現在の福岡県南部にあたる)に分割した。 731年(天平3年、第45代聖武天皇期)には、住吉三神を祀る志賀海神社(福岡県福岡市、住吉神社系)が、「那珂郡阿曇社三前」や「志賀社」として『住吉大社司解』には記載された。 859年(貞観元年)には、筑紫神社が神階奉授を受けた記録がある(六国史)。 平安時代の筑前国については、藤原時平が大宰府に菅原道真を左遷して道真が没したのちに疫病や天変地異が続き、919年(延喜19年)に大宰府天満宮、921年(延喜21年)に筥崎宮が、第60代醍醐天皇により造営された。
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