他から受けた影響とその評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 02:00 UTC 版)
「横光利一」の記事における「他から受けた影響とその評価」の解説
横光は小林秀雄について、「松尾芭蕉より進んだ文学者」として『夜の靴』などで絶賛した。また宮沢賢治を、その死後間もない時期に知って高く評価し、1934年4月号『文藝』に「宮沢賢治氏について」を発表している。賢治没後の最初の全集(文圃堂、1934年 - 1935年)の刊行に協力し、編集者の一人として名を連ねている。 中河与一の『木枯の日』について横光は「異常な神経の嗅覚」を持っており、こうした「嗅覚」をドストエフスキー、ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ、ホフマンは持っていたが、志賀直哉とポーは理知が邪魔をして持っていなかったと評価した。 ストリンドベリの『地獄』『青巻』については1925年の「感覚活動」において「より深き認識への追従感覚を所有した作品」と評価し、松尾芭蕉、志賀直哉の『剃刀』(1913年)、『范の犯罪』などになぞらえた。横光は志賀の『范の犯罪』に影響をうけて、『殺人者』のち『マルクスの審判』を執筆した。またこの小説は芥川龍之介の『薮の中』にも影響を受けている。横光によるストリンドベリについての言及はランボーよりも頻度が多い。 また、1933年には、『源氏物語』、井原西鶴、樋口一葉『たけくらべ』、森鷗外の『雁』と谷崎潤一郎の『蓼喰ふ虫』などを挙げて、日本の国語は人情を書くのに一番適していると評価している。1937年には志賀直哉の作品を「日本文の模範」とも賞賛している。 また、横光はフェルディナン・ド・ソシュールの言語理論を踏まえており、1928年(昭和3年)7月3日から6日にかけて読売新聞で「一つの形式の生まれるのは、その民族の中から生まれる」とソシュールの言語理論を踏まえて論じ、文学の形式と民族の問題として位置づけた。ソシュールの書籍は同年翻訳されており(岡書店刊行『言語学原論』小林英夫訳)、さらにソシュールの言語理論を踏まえた外山卯三郎の『詩の形態学序説』が刊行され、同年創刊された『詩と詩論』創刊号に掲載された西脇順三郎なども、横光に影響を与えたといわれている。 『旅愁』での古神道の典拠については、筧克彦、川面凡児の禊思想、ブルーノ・タウト、小泉八雲などが挙げられている。
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