仏軍のポルトガル再侵攻を撃退とは? わかりやすく解説

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仏軍のポルトガル再侵攻を撃退 (1808年-1811年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 10:09 UTC 版)

アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)」の記事における「仏軍のポルトガル再侵攻を撃退 (1808年-1811年)」の解説

1808年9月ムーア将軍率い英軍スペイン進軍すると、同年11月フランス軍ナポレオン直接指揮のもとスペイン侵攻再開し12月にはマドリードを再占領した。これに対して英軍フランス軍との決戦避け撤退した英軍アメリカ独立戦争敗北教訓大陸奥深くでの長期戦避け圧倒的な制海権活用し攻撃して海岸まで撤退することを基本戦法としていたからだが、ナポレオンイギリス軍の撤退弱気誤認しイギリス軍フランス軍と戦う資格がない」と豪語したナポレオンは翌1809年1月本国政治情勢オーストリア不穏な動きからニコラ=ジャン・ド・デュ・スールト将軍に後を任せてパリ帰還した入れ替わるようにサー・アーサーが同年4月ポルトガル駐留英軍総司令官として再度ポルトガル派遣された。サー・アーサー率い英軍は、5月7日オポルト南方ドウロ川渡河敢行してスールト将軍率いフランス軍の不意を突きドウロ戦い英語版)でこれを破りスールト軍をポルトガルから撤退させた。 続いてクロード・ヴィクトル=ペラン元帥率いフランス軍2万3000人がポルトガル向けて進軍してきた。サー・アーサーは戦場スペイン移してスペイン軍合流のうえ、7月21日スペインタラベラ・デ・ラ・レイナ結集していたヴィクトル軍に攻撃をかけた。撤退するヴィクトル軍をスペイン軍追撃させたが、ヴィクトル軍はマドリード駐留部隊合流して反転攻勢転じスペイン軍追い返した。これを受けてサー・アーサーはタラベラに守備布陣敷いてフランス軍待ち受け7月28日のタラベラの戦い英語版)で激戦の末にフランス軍退けた。 サー・アーサーはこの戦功でウェリントン・オブ・タラベラ子爵Viscount Wellington of Talavera)、ドウロ・オブ・ウェルズリー男爵Baron Douro of Wellesley)の爵位与えられ貴族列した。 タラベラ戦後ウェリントン子爵は軍をポルトガルに戻すとともにリスボン北方極秘裏にトレス・ヴェドラス線(英語版)を建設してフランス軍来襲備えた。この防衛線の存在自軍にも伏せられていた。 1809年10月イギリス本国スペンサー・パーシヴァル内閣成立した。同内閣外務大臣として入閣したウェルズリー侯爵半島戦争重視する陸軍・植民地大臣ポートランド公爵後押しウェリントン子爵ポルトガル駐留軍は3万人規模増強された。 1810年5月よりアンドレ・マッセナ元帥率いフランス軍がポルトガル・スペイン国境シウダ・ロドリーゴアルメイダポルトガル語版)の要塞攻撃をかけてきた。両要塞が夏まで持ちこたえている間、南の防衛固めつつ、小麦収穫素早く終わらせた。両要塞陥落した後、ブサコ(ポルトガル語版)まで後退して守備布陣をとり、9月末のブサコの戦い英語版)でフランス軍退けた。 ブサコの戦い勝利したものの、ウェリントン子爵は軍をトレス・ヴェドラス線まで後退させた。マッセナ元帥率いフランス軍追撃出てきたが、トレス・ヴェドラス線の入り組んだ塹壕大砲用の落とし穴広がる光景見てマッセナ元帥愕然とし、「奴がこの山を築いたのか」と叫んだという。結局マッセナ元帥の軍は4か月ほど粘ったものの、補給状態が壊滅的となり、1811年3月にはスペイン撤退していった。

※この「仏軍のポルトガル再侵攻を撃退 (1808年-1811年)」の解説は、「アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)」の解説の一部です。
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