仏像の寸法体系としての「法量」とは? わかりやすく解説

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仏像の寸法体系としての「法量」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 21:14 UTC 版)

法量」の記事における「仏像の寸法体系としての「法量」」の解説

Clip 中国極端に単純化抽象化様式化された仏像北魏時代仏教中国へ伝わると、中国でも仏像作られるようになった写実的な仏像作ったガンダーラ美術較べて中国では仏像様式著しく変化し抽象化され、インド仏像とは全く異な様式へと変化した抽象化が行われた背景には、信仰教義上の理由と、技術的な理由があると考えられている。技術的な観点では、中国では自然の岩壁巨大な仏を彫るようになったため、加工困難さから彫刻シンプルになっていった考えられている。また、ガンダーラ仏像はもっぱら写実性主眼置かれていたのに対し中国ではもっぱら美を目指し仏像製作されるようになっていった。信仰教義観点では、釈迦の「三十二相」が仏像取り入れられるようになって常人の姿とは大きく異なるようになっていった。たとえば、仏像顔面頭部・首は体に比べて著しく大きくなり、写実性観点からは通常のヒトとは大きく異な様相となったこうした超人化」にともなって仏像作成するにあたって、その寸法や体の大きさ長さ比率体系化され、仏像姿形規定する制約となっていった。その寸法体系のことを「法量」と称する日本にはこの中様式仏像伝播し、日本でも法量にしたがって仏像作られるようになっていった。そのため、特に古代仏像は「通常のヒト」とは体の各部大きさバランス著しく異なっている。 飛鳥佛像は我々には藝術的形態の上からは畸形見える。 — 木下杢太郎、『天平彫刻』「天平時代佛像對す斷片的考察日本最初に作られ仏像作者とされている鞍作止利筆頭に、古代日本では仏像製作に携わる職人渡来人限られていた。白鳳時代でも渡来人の子孫に限られわずかに日本人その手伝いをした程度考えられている。天平時代渡来人遣唐使として唐に渡った経験のある高僧限られていた。 日本人職人本格的に直接、ひろく仏像を彫るようになったのは平安時代以降考えられている。この頃には、中国醸成され抽象化された仏像の姿は日本風アレンジされ、再び写実性取り入れられ作風一変した。しかし写実主義採用するとしても、法量として定められている各種寸法比率逸脱することは許されないことであり、現実人体リアルな表現と、三十二相のような超人的な姿をいかにして両立させるかが、仏師悩ませることになったまた、これらの変化並行して、はじめは釈迦特徴とされていた三十二相全ての仏尊適用されるようになっていき、菩薩像観音像も「三十二相」に則って表現されるようになった。 ※本節では後述する問題から「尺」の換算値をあえて記載しない

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