今津干潟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/22 05:31 UTC 版)
博多湾には和白干潟(80ha)・多々良川河口(32ha)・室見川河口(26ha)・瑞梅寺川河口(80ha)の4か所に干潟があり、瑞梅寺川河口の感潮区間に位置する干潟は今津干潟と呼ばれている。江戸時代までは湾奥部まで砂浜であり、地引網によるイワシ漁が行われていた。また河口は水深3m程度あり藻場もあったという。今津湾では農地造成のための干拓が進み、明治初期には漁場がなくなり、地引網漁は東側の今宿付近がメインとなる。同時期に干潟の堤防が完成したことにより、現在とほぼ同じ海岸線が形成された。その後はエビ、タコ、シャコ等の繁殖適地として手繰網漁が盛んとなり、イワシも揚繰網による捕獲が始まり当地域の主幹産業となった。1910年(明治43年)からはノリ養殖も開始された。 終戦後になると豊富な海洋資源から漁村は活気が戻り、ノリ養殖に加え急増したアカガイ漁業が中心となる。しかしながら、1953年(昭和28年)の水害において瑞梅寺川が氾濫し、堆積物が押し流されたことで水深が浅くなった。加えて博多湾から汚泥が流れ込んだことから、干潟にカキが繁茂し始めた。昭和30年代以降は、流域の屎尿処理場開設や都市化の進展があり、河川水が富栄養化するようになり、カキは干潟全体に点在して見られるようになる。1977年(昭和52年)の瑞梅寺ダム完成を境に河川の流量は急減し、一方で南側を埋め立てて形成された横浜団地からの生活排水が流れ込み始め、今津橋付近を中心に下流右岸でカキ礁(英語版)が形成された。以後、カキ礁は今津橋を伝って左岸にも形成されてゆき、澪筋の幅が狭くなり閉塞域となった。今津干潟でのノリ養殖は困難となり、1990年(平成2年)に中止された。 カキ礁自体は水質改善に効果があるものの、今津干潟はイボウミニナのような絶滅危惧種の棲息地、カブトガニの産卵場所といった側面もあり、更なる増大は生態系に影響をもたらすため、カキ礁を一定程度取り除く必要性が唱えられた。これを受け、被害が問題となっている四所神社周辺を主な対象として、カキ礁を取り除きカブトガニやコアマモの棲息場を作るなど、干潟の生態系保全活動が進められている。
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