京極派の新風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 10:09 UTC 版)
撰者京極為兼が創始し主導した、沈滞した中世和歌に新風を吹き込んだ京極派の和歌ももちろん玉葉和歌集の中に紹介されている。京極派和歌の研究者として知られる岩佐美代子の分析によれば玉葉和歌集全体で、京極派の歌人は56名(約7.5パーセント)、京極派の作品は583首(約21パーセント)である。 為兼は御子左家嫡流の二条派によって牛耳られ、多くの規範によって表現の幅を狭められた上に、うるわしい言葉でうるわしい情景を詠むのをよしとした当時の和歌のあり方を厳しく批判し、心の絶対的な尊重と言葉の完全な自由化を強硬に主張し続けた。和歌の世界に強固に根付いた因習に真っ向から勝負を挑んだ為兼には、当然のように激しい批判が浴びせかけられたが、その歌論は伏見天皇を始めとする持明院統の宮廷に受け入れられ、切磋琢磨の末に真に高い芸術性を兼ね備えた京極派の和歌が確立された。完成期の京極派の和歌には心の絶対的尊重、言葉の完全な自由化という為兼の主張が貫かれていた。先述の巻四秋歌上の巻軸歌である伏見天皇の歌の他にも 京極派和歌の独壇場とされる迫真の自然詠の一つで、明暗の対比、光線、そして空気感を捉えた、撰者為兼の最高傑作とされる 枝にもる朝日のかげのすくなさに涼しさふかき竹のおくかな — 玉葉和歌集・夏・419 京極派最高の歌人とされる永福門院の、聴覚から視覚への場面展開とそれに伴う時間経過の描写が見事な 入相の声する山のかげくれて花の木の間に月いでにけり — 玉葉和歌集・春下・213 心の尊重を掲げた京極派和歌の一典型である、観念を直接的に詠いあげた京極為兼の 木の葉なき空しき枝に年くれてまためぐむべき春ぞ近づく — 玉葉和歌集・冬・1022 鎌倉幕府との政治的交渉の為に往復した東海道の旅、そして佐渡への配流体験が息づく、鎌倉時代の旅歌の白眉と評価される京極為兼の 旅の空雨の降る日はくれぬかとおもひて後もゆくぞ久しき — 玉葉和歌集・旅・1204 などが挙げられる。 京極派の和歌は、他の平安時代から鎌倉、南北朝、室町期の和歌と比較して、縁語、掛詞などといった技巧が目立たず、とりわけ迫真の自然詠に高い評価がされている。しかし京極派の自然詠は単に自然をそのまま詠んだものではなく、京極為兼が説いた心の絶対的尊重に基づき、研ぎ澄まされた感覚で捉えた対象を、心の中で再構築して歌としたものであり、心の動きを第一に据えている点から見れば、観念を直接的に詠い上げた歌や心理分析的な恋歌など、他の京極派の特徴的な和歌と根本を同じくしている。しかしその心の絶対的尊重という態度は往々にして、心を精緻に述べすぎて難解となってしまうという欠点も生んだ。
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