京極派のまなざしから撰んだ和歌
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「玉葉和歌集」の記事における「京極派のまなざしから撰んだ和歌」の解説
勅撰和歌集最大の約2800首の和歌を撰んだ玉葉和歌集には、京極派以外にも多くの同時代の人々の作品を撰んでいる。撰者京極為兼と対立する二条為世らの作品、また勅撰和歌集が持つ宿命である政治的配慮のために入集の必要性がある北条貞時ら鎌倉幕府要人の和歌、そして無名の群小歌人の歌に至るまで、京極派の視点から見どころのある作品を撰びだし、きちんとした編集意図の元、配列させている。 先述のように玉葉和歌集全体から見て、京極派歌人は約7.5パーセント、歌数から見ても約21パーセントと、決して京極派が多数を占めている和歌集ではない。しかし京極為兼は単に京極派歌人の作品ばかりではなく、万葉集以降の過去の名作を積極的に発掘し、また玉葉集撰集当時の和歌からも、京極派に属す、属さない、作者の有名無名に係わらず、自らの歌論を裏付けるような作品を撰び出し、それらを考え抜かれた構成に基づいて配列して一個の和歌集として完成させた。もちろんあまりにも作品数が多すぎ、構成上の工夫など多くの長所が目立たなくなってしまった欠点は否定できないものの、玉葉和歌集はまぎれもない京極派の勅撰和歌集として完成した。 中世和歌に新風を吹き込んだ京極派の創始者であり指導者であった京極為兼が撰者となった玉葉和歌集は、京極派を和歌史の中に位置づける意図の下、万葉集の時代から和歌集撰集当時までの多くの和歌を、京極派の視点で撰び、編集された。岩佐美代子は玉葉和歌集を大柄で格調高い和歌集と評価しており、前後の二条派撰集の勅撰和歌集ばかりではなく、後に撰集された玉葉集以外唯一の京極派勅撰和歌集である風雅和歌集と比べても、その大らかさ、明るさ、豊かさは抜群のものがあるとしている。
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