京極派の予言の書とは? わかりやすく解説

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京極派の予言の書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/15 02:39 UTC 版)

為兼卿和歌抄」の記事における「京極派の予言の書」の解説

為兼卿和歌抄未定稿的な色彩の強いもので、実際どのような形で流布したのかが全く不明な歌論書である。そのため京極派代表的な歌人である伏見天皇花園天皇らが目を通したかどうかはっきりしない。そして京極派は、観応の擾乱の際、光厳上皇南朝拉致されことがきっかけとなって崩壊しその後和歌二条派主導することとなり京極派和歌長く異端視されることになる。実際為兼卿和歌抄明治後半までその存在忘れ去られており、他に与えた影響はほとんど見られない。しかし京極派和歌近代になって再評価進み逆に二条派伝統凝り固まったのである見なされるようになったいずれにしても京極為兼創始した京極派和歌世界これまでにない新風吹き込んだ。 為兼は和歌実力が全く伴わないまま、和歌宗家たる二条派への反発心と心のままに表現方法にこだわることなく歌を詠みたいとの欲求突き動かされ為兼卿和歌抄執筆したこの為兼の主張東宮煕仁やそのブレーンたち、つまり持明院統宮廷受け入れられ皇位をめぐる大覚寺統との抗争鎌倉幕府の滅亡など、鎌倉時代から南北朝にかけての時代荒波の中、京極派和歌真に芸術性の高い歌風到達することに成功した完成期京極派和歌は『心の絶対的な尊重』、『言葉の完全な自由化』という、まさに京極為兼為兼卿和歌抄主張した通り歌風実践したものであった。つまり歌論書為兼卿和歌抄京極派和歌実作との間には結果として緊密な関係性見られることになった京極派和歌研究家である岩佐美代子は、若き京極為兼大言壮語で終わることなく、その歌論見事に実を結ぶことになった為兼卿和歌抄を『稀に見る幸福な歌論書、驚くばかりの的確な予言書』とし、土岐善麿また、京極為兼藤原俊成藤原定家田安宗武とともに歌論も歌の実作一流である論作一致の人であった評価している。

※この「京極派の予言の書」の解説は、「為兼卿和歌抄」の解説の一部です。
「京極派の予言の書」を含む「為兼卿和歌抄」の記事については、「為兼卿和歌抄」の概要を参照ください。

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