五能線速達列車沿革(附・弘前駅 - 青森駅間の快速列車沿革)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 07:57 UTC 版)
「深浦 (列車)」の記事における「五能線速達列車沿革(附・弘前駅 - 青森駅間の快速列車沿革)」の解説
1965年(昭和40年)10月1日:鰺ケ沢駅 - 青森駅・鮫駅を結ぶ準急列車として「岩木」の名称が与えられる。なお、「岩木」の名称は秋田駅 - 青森駅間を奥羽本線経由で運転する準急列車として1961年9月15日まで使用されていた名称であった(こちらも参照のこと)。 また、この当時の停車駅は、鯵ケ沢駅 - 木造駅 - 五所川原駅 - 板柳駅 - 川部駅 - 浪岡駅 - 青森駅。 1968年(昭和43年)3月25日:準急行列車制度廃止に伴い「岩木」急行列車に昇格。また、上り列車の始発駅を鰺ケ沢駅から深浦駅に変更。 10月1日:「岩木」を「深浦」に改称。当時の停車駅深浦駅 - 追良瀬駅 - 北金ケ沢駅 - 鯵ヶ沢駅 - 木造駅 - 五所川原駅 - 陸奥鶴田駅 - 板柳駅 - 川部駅 - 浪岡駅 - 青森駅 - 浅虫駅(現・浅虫温泉駅) - 小湊駅 - 野辺地駅 - 三沢駅 - 尻内駅(現・八戸駅) - 八戸駅(現・本八戸駅) - 小中野駅 - 鮫駅 1971年(昭和46年)10月1日:この日から観光シーズンに限り、陸奥岩崎駅までの延長運転を実施。 1972年(昭和47年)3月15日:「深浦」運転区間を陸中八木駅まで延長。同時に八戸駅 (旧・尻内駅)- 陸中八木駅間(八戸線内)を普通列車化。急行「深浦」は運行区間により、最短1輌から最長4輌編成(全車普通車自由席)で運行した。上り列車は深浦駅 - 鯵ヶ沢駅間は1輌・鯵ヶ沢駅 - 川部駅間は4輌・川部駅 - 陸中八木駅間は3輌で運行した。なお、深浦駅発の1輌は黒石行き(川部駅 - 黒石駅間普通列車)であった。下り列車は陸中八木駅 - 青森駅間は3輌・青森駅 - 川部駅間は7輌(急行「むつ4号」秋田行き・3輌編成を併結)・川部駅 - 鯵ヶ沢駅間は4輌・鯵ヶ沢駅 - 深浦駅間は1輌で運行した。 1974年(昭和49年)7月:「深浦」陸奥岩崎駅まで臨時延長運転(深浦駅 - 陸奥岩崎駅間普通列車、以後、毎年実施)。 1975年(昭和50年)3月10日:「深浦」深浦駅 - 鯵ヶ沢駅間を普通列車化。 1978年(昭和53年)7月:「深浦」陸奥岩崎駅までの臨時延長運転廃止(78年は延長区間を快速列車で運転)。 10月2日:「深浦」鰺ケ沢駅 - 川部駅間を普通列車化(下り列車は五所川原駅 - 川部駅間快速列車)。 1982年(昭和57年)11月15日:「深浦」急行列車から快速列車へ格下げ。運転区間を深浦駅 - 青森駅間とする。 1986年(昭和61年)11月1日:五所川原駅・弘前駅 - 青森駅間運転の快速列車の名称に「岩木」の名が採用される。 1989年(平成元年)8月1日:「深浦」青森行きに弘前行き編成の連結開始。 1993年(平成5年)12月1日:「岩木」名称を「いわき」に改め、運転区間を秋田駅・大館駅・弘前駅 - 青森駅間に変更し五能線乗り入れが廃止される。同時に電車化。 2002年(平成14年)12月1日:「いわき」の愛称が消滅。無名の快速列車(青森駅 - 弘前駅・大館駅)となる。同時に「深浦」下り列車の五所川原駅 - 川部駅間を普通列車化、五能線内各駅停車となる。 2010年(平成22年)12月4日:東北新幹線八戸駅 - 新青森駅間の開業(全線開通)に伴い、新青森駅に新規停車し、通過駅は大釈迦駅と鶴ケ坂駅のみとなる。 2014年(平成26年)3月15日:「深浦」廃止。 2018年(平成30年)3月17日:輸送体系変更に伴い、弘前駅→東能代駅間に無愛称の快速列車(上り1本)を新設。停車駅:弘前駅 → (この間各駅停車) → 鰺ケ沢駅 → 北金ケ沢駅 → 千畳敷駅 → 深浦駅 → ウェスパ椿山駅 → 十二湖駅 → 岩館駅 → あきた白神駅 → 能代駅 → 東能代駅
※この「五能線速達列車沿革(附・弘前駅 - 青森駅間の快速列車沿革)」の解説は、「深浦 (列車)」の解説の一部です。
「五能線速達列車沿革(附・弘前駅 - 青森駅間の快速列車沿革)」を含む「深浦 (列車)」の記事については、「深浦 (列車)」の概要を参照ください。
- 五能線速達列車沿革のページへのリンク