五社英雄とともにとは? わかりやすく解説

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五社英雄とともに

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 01:34 UTC 版)

阿部桂一」の記事における「五社英雄とともに」の解説

1923年大正12年11月11日宮城県生まれる。放送作家年鑑 1966』の阿部の項には東京府現在の東京都)に生まれた旨の記述がある。 福岡県移った経緯不明であるが、1940年昭和15年3月旧制福岡県中学明善校(現在の福岡県立明善高等学校)を卒業するその後日本大学工学部進学するも、中途退学したという説がある。1945年昭和20年8月15日、満21歳第二次世界大戦の終戦迎えるが、兵役等の経験については伝えられていない。満34歳のとき、日本シナリオ作家協会主催する第8回シナリオ・コンクール」にシナリオ戦争』を応募1958年昭和33年4月発表された同コンクール最優秀賞受賞同月発行の『シナリオ』誌に全文掲載され阿部は「入選感想」として『感慨無量』という小文寄せている。このときに阿部のほか、岡田光治、川井甫、山本哲郎入選した記録に残るもっとも古い時期映像化された阿部脚本作品は、同年5月日本テレビ放送網放映し同年6月1日新東宝配給し劇場公開した中篇映画犯罪地帯探せ』(監督森園忠)である。同年7月13日公開された『夜は俺のものだ』(監督森園忠以降当時日活企画者だった大塚和1915年 - 1990年)のプロデュース作に多く脚本提供する1959年昭和34年6月26日放映開始した刑事』は、当時フジテレビジョン映画部テレビ映画を手がけていた五社英雄1929年 - 1992年)が高松英郎主演起用した連続テレビ映画であるが、阿部は、同作脚本を手がけて以降フジテレビジョン製作、とくに五社テレビ映画多く脚本参加していく。翌1960年昭和35年1月31日放映開始したトップ屋』では、当時新東宝大部屋俳優でしかなかった丹波哲郎主人公起用丹波スターダムにのし上げることに成功した同年9月24日に「東芝土曜劇場」の第80回)で放映された『むしけら』(監督五社英雄)は、同年第15回文部省芸術祭参加作品として製作され奨励賞獲得した1963年昭和38年10月10日放映開始した三匹の侍』では、全26回のうち5話を手がけており、同作阿部代表作とされる1964年昭和39年)、松竹京都撮影所製作して同作劇場用に映画化された際には、柴英三郎1927年 - )、五社英雄共同脚本参加同年5月13日公開された。同年2月8日公開され日活映画花と怒濤』(監督鈴木清順主演小林旭)にも、同作美術デザイナーである木村威夫執筆した脚本サポートする形で脚本参加しており、同作は、阿部劇場用映画代表作である。

※この「五社英雄とともに」の解説は、「阿部桂一」の解説の一部です。
「五社英雄とともに」を含む「阿部桂一」の記事については、「阿部桂一」の概要を参照ください。

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