五社英雄と三島由紀夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 10:17 UTC 版)
「人斬り (映画)」の記事における「五社英雄と三島由紀夫」の解説
五社英雄は戦時中に特攻隊に志願して第13期として予科練にいた。しかし入隊してすぐに日本脳炎の初期症状を起したために正式入隊が4か月遅れ、実戦には参加できずに本土決戦用の水上特攻隊として演習していた。 予科練第13期の同期生たちの多くは、台湾や沖縄での戦闘で特攻隊として死んでいった。五社は福知山で飛行場を作る工事に携わっている最中に敗戦を迎えた。特攻隊の生き残りであった五社は、その戦争体験を『人斬り』の撮影の合間に三島由紀夫に話した。 戦時中の入営検査で即日帰郷となった経験を持つ三島はそれを聞いた後、実際に自分の命を投げ出して何かをやれる人間はそうはいないが、現実にそうした若者の犠牲があってその上に、今日の日本の存在していることを思う時に我々は忸怩たるものがあると言い、我々はもう一度それらを掘り起こす必要があるのではないかと語っていたという。 また、五社監督は三島から子供がいるのか訊ねられ、「いる、マイホーム主義ではなく、いいオヤジでもないと思うが、かわいくてたまらん」と答えると、三島は五社の顔を見据えながら、「子供には子供の人生がある。子供かわいさに、自分の生き方やイデオロギーを曲げたり、子供によって自分の人生を左右されたり、影響されるようじゃ大演出家になれん。割り切る強さが必要なのだ」と語っていたという。 五社監督は映画公開から16年後、三島没後15年目の1985年(昭和60年)の『人斬り』再上映に際し、「私よりも、尚越えたところで此の再公開をよろこんでくれるのはまぎれもなく故三島由紀夫さんなのです」と述べ、「三島さん、よかったね」と最後に締めくくっている。 その一年后、あの痛ましい事件は果して偶然の一致だったのか……。今だに私には、ナゾとしか云えないのです。而し、この十六年という歳月の流れが、あれもこれも三島さんの深い思いのメッセージをつつみこむにふさわしい貴重な「間」であったかもしれません。(中略)三島さんはこの“人斬り”出演を真底、ほれこんでおられた。そして深く深くこの作品を愛して下さった。ここに、再びこの“人斬り”が世に問う機会を得たことで私の十六年に及んだ三島さんに対する憶いが無事果たせることが出来た。(中略)三島さん、よかったね。 — 五社英雄「『人斬り』について」
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