二重承認問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 17:59 UTC 版)
中華人民共和国政府は「一つの中国」原則を主張し、二重承認を絶対に認めない立場を取っている。 台湾当局は李登輝が総統に就任した後、中華人民共和国とは別個の国家としての「中華民国」の地位を明確化しようとし、二重承認を容認する動きも見られた。1989年にグレナダと国交樹立した際、同国に中華人民共和国との断交を求めなかった。一方、中華人民共和国は同国と断交し、二重承認とはならなかった。 今日、二重承認が実現せず、また台湾を承認する国は年々減少している。中華人民共和国政府が態度を軟化させない以外に、その理由として、以下が挙げられる。 1997年7月、香港返還に伴う在香港総領事館の存続問題である。ネルソン・マンデラ政権下の南アフリカ共和国は二重承認に踏み切ろうとしたが、総領事館を設置していた香港が英国属領から中華人民共和国の特別行政区に切り替わったことで、総領事館の設置に際して中華人民共和国政府から同国の承認と「中華民国」の国家承認取り消しを求められた。そうしない場合、領事特権のない代表部に格下げすると迫られた。航空便も乗り入れ、台湾・香港系移民も多い南アフリカ共和国が香港との関係を維持するためには中華人民共和国との関係構築が避けられず、中華人民共和国との長期的な経済関係拡大も見越して1997年限りで台湾の承認を終了、1998年に中華人民共和国を承認し、外交関係を開設した。 中華人民共和国が国際連合安全保障理事会の常任理事国であり、拒否権を有していることである。しかし、中華人民共和国が現実に拒否権を行使した例は2006年までは3回しかなく少なかった。中華人民共和国を承認していない国が安保理で扱う議題の当事国となった場合、有利な案件は否決され、不利な案件は可決されるリスクを負う。具体例はマケドニア共和国である。同国は一度「中華民国」を承認したものの、国連PKOの派遣に関する決議を中華人民共和国に妨害されることを恐れて撤回した。 「中華民国」を承認する国は台湾の潤沢な経済力を背景に、経済援助を目当てにしている国が多い(またこれは中華人民共和国を承認する国も同様である)。こうした国々は、アフリカや中央アメリカ・南太平洋の島々を中心に存在する。いずれも小国であり、国連などの国際機関などで「中華民国」の参加や加盟に協力はするが、それを実現させるほどの政治力を持っていない。少数でも承認してくれる国家があることは、主権国家としての存続に必要不可欠だと歴代台湾の「中華民国」政権は認識している。 台湾において民進党出身の陳水扁政権も同様である。陳水扁は総統就任直後、「四不一没有」(4つの拒否と1つのない)を表明し、独立路線の棚上げと対中関係の改善を目指した。ところが、2002年8月に陳が民進党主席に就任した日、中華人民共和国政府はナウルに承認切換を行わせた。これに反発した陳は「一辺一国」発言をした。中華人民共和国も経済援助を用い、「中華民国」を承認する国々を切り崩し続けた。そのため、陳政権にとっては「中華民国」を承認する国を確保することが緊急の課題となり、「一辺一国」発言に沿うはずの二重承認の実現まで手が回らなくなった。そのため、台湾側も政府承認の切替のみに注力する結果となった。
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