事件の発覚から逮捕まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 13:13 UTC 版)
「隅田川コマ切れ殺人事件」の記事における「事件の発覚から逮捕まで」の解説
1934年(昭和9年)6月14日、隅田川にかかる永代橋の上流で、成人男性の左手首が発見された。翌6月15日には上流の吾妻橋付近で右手首が、さらに6月18日には芝浦の海岸に左足首が打ち上げられ、これら3個の人間の断片はいずれも同一人物のものと断定された。 いずれも腐敗が著しく、身元特定は悲観されていたものの、細心の注意を払った鑑識作業により指紋採取に成功し、司法省で保管されている受刑者の指紋原紙と照合した結果、被害者は徳島県出身で窃盗の前科2犯「ホラ吹き爺さん」(当時60歳)と判明。「ホラ吹き爺さん」は数度の結婚と離婚を繰り返した後に、「ハテナ婆さん」(当時51歳)と渋谷区公会堂通りで所帯を持ち、おでんの屋台を引いて生活していた。 「ホラ吹き爺さん」は「貯金が1万円以上ある」、「恩給がたっぷり入る」などと大法螺を吹くクセがあり、「ハテナ婆さん」は首が右に傾いていて、いつも首をかしげているような仕草だったがゆえのあだ名である。 6月下旬、警察が渋谷区の老夫婦の家を訪ねたところ、表戸が開いたままで2人の姿は無く、室内からは一切の家財道具が失われていた。近隣の住人や家主の証言によれば、老夫婦が姿を消した後、2人の親戚を名乗るKという若者が「借金のカタにする」と称して家財の一切を売り払ってしまったという。警察が屋内を改めたところ、襖や天井には血しぶきが散らばり、畳には染み込んだ血をふき取った痕跡が認められた。カビが生え始めていた畳を上げたところ、床板には大量の血がしみこんでいた。 やがて家財道具の売却に関わったというバタ屋(廃品回収業者)が現れ、以下のように証言する。 「6月14日の早朝、自分は公会堂通りでゴミ箱をあさっていたところ、鼻にあざのある男に「ボロを売ってやるからついてこい」と声をかけられました。その人についてある家に行ったところ、大量のこま切れ肉が入った石油缶を手渡され、『自分は焼き鳥屋なのだが、肉を仕入れすぎて腐らせてしまった。なるべく遠くに捨ててくれないか』と言われ、その缶を車に積み、隅田川の白鬚橋まで行って2人がかりで捨てました。別れ際に『明日の夜も来てくれ』と言われたので、言われたとおり伺ったところ、遅いから泊るように勧められ、翌朝に古着や蒲団、蚊帳、仏壇などを古道具屋に持ち込みましたが、全部は売れませんでした。そこで、手間賃をもらって別れたのです」 バタ屋が語るその男の容姿は、近隣住人が語るKに酷似しており、警察はKが老夫婦を殺害して遺体を切り刻み、隅田川に捨てさせたと推理した。目撃者数名の協力を得て、鑑識課が保管していたKの受刑期間の写真数万枚のなかから、容疑者と酷似しておりKと推定される人物が写っているものを特定、大量に複製して各警察署に手配した。そして6月23日、四谷警察署伝馬派出所で見張勤務にあたっていたY巡査が、Kによく似た年恰好で行李を携えた男を発見した。しかも彼の鼻にはあざがある。職務質問したところ、彼はためらいもなく「K、23歳」と答える。彼が携えた行李の中には鋸、鉈、出刃包丁、手斧が収められ、それらの柄には血を拭った痕跡があった。Y巡査はKを緊急逮捕した。
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